オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎

アジア最大級の広告をテーマにしたイベント「Advertising Week Asia 2017」が5月29日から6月1日に東京で行われる。その開催を記念して、同イベントのアドバイザーによるコラムがスタート。第1回は、LINE 上級執行役員 コーポレートビジネス担当 田端信太郎氏です。

広告が「嫌われもの」になった最大の理由

この文章は広告についてのものだ。広告業界では、未だに議論が続いているだろうが、私の中では結論は出ている。

オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ。デジタルネイティブ世代にとって「熱狂」する対象ではない。例えば、その証拠に2016年半ばからiOSの有料アプリランキングのトップにいるアプリをご存知だろうか。それは、広告ブロッカーだ。多くのユーザーがお金を払ってまで、広告など見たくないと思っているのだ。

なぜ広告は、そこまでユーザーから嫌われるようになったのだろうか。多くの広告業界人はなぜ広告が嫌われているのか、本当に理解していない。

広告がユーザーから嫌悪感を持たれるまでになってしまった最大の理由は、一般のユーザー同士のコミュニケーション時間の増加だ。

メディアを通じた情報コミュニケーションは、「情報の送り手から受け手へ」と伝わる。かつては、この「送り手」の位置は、テレビや新聞のようなメディア企業が独占しており、「広告」はその中で送り手がユーザーから課金せずに、無料でメディアを運営するためのパトロンとして、床の間を背にした上席にいつも座らせてもらっていた。そして、日常的に対面をしないことを前提とした一般人同士の情報のやり取りは、手紙や電話といったもので、スケーラビリティを欠いていたのだった。

しかし、そのような状況はインターネットが普及し、個人ブログが当たり前の情報発信ツールになり、さらにはPCだけでなく、肌身離さずスマートフォンを誰もが持つようになって大きく変わったのだ。

いまや、LINEのようなメッセンジャーツールのお陰で、自分の親しい友人や知人、彼氏彼女と「会話」をし続けることが、対面でなくとも常時可能になってしまったのだ。このことのメディア論、コミュニケーション論的な文脈におけるインパクト、恐ろしさはまだ過小評価されてはいないだろうか?

今を15年以上さかのぼる2000年代初頭、ケータイメールの普及を目にし、私が敬愛するメディアクリエイター高城剛氏は「女子高生にとっては、カレシからのメールが最強のキラーコンテンツなのだ」という名言を残した。この言葉の意味を広告業界人はもっと噛みしめるべきだ。

もはや広告のライバルは、プロが作ったコンテンツではない。テレビCMのライバルはテレビ番組でもない。カレシから送られてきたLINEメッセージが待ち受け画面に届き、その中身を読もうと指でスマホを操る、恋愛に夢中な女子高生にとって、あなたが関わるバナー広告やCMは目を止めるに値するものなのだろうか。このことを自問自答するところから始めないといけないのだ。

企業の都合から伝えたい内容を一方向的に投げかける広告が、親しい友人や恋人との双方向的なコミュニケーション以上に力を持つことはあり得ない。

では、どうすれば良いのだろうか?

筆者は「広告」の意味を再定義する。そして拡張するべきだと思っている。

次ページ 「広告はどのように変わるべきだろうか?」へ続く

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