【前回記事】「「パナソニック宣伝100年の軌跡」(7)新たな食文化を提案する — 調理家電の広告篇」はこちら

2018年に創業100周年を迎える、パナソニック流の宣伝に迫る対談。第8回は「テレビ・録画機器・カメラの広告篇」です。テレビは「三種の神器」と言われるように、日本の経済成長を語るうえで欠かせない存在。パナソニックは、競合企業と切磋琢磨しながら、個性的な商品、ネーミング、広告によって独自のテレビブランドを築き上げてきました。
前篇となる今回は、大ヒット商品「画王」のCMに出演した俳優・津川雅彦さんと、広告制作に携わった元博報堂クリエイティブディレクター・垂水佐敏さんの対談です。
架空の“王国”をつくりあげテレビをブランディング
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多チャンネル時代に先駆け、1990年に発売されたのが、大型テレビ「画王」。津川さんが「テレビじゃ、画王じゃ!」と叫ぶCMは大きな話題を呼び、出演は3年におよびました。
1956年『狂った果実』で映画デビュー。88年、『マルサの女』『夜汽車』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、日本を代表する俳優のひとりとして、ドラマや映画に数多く出演。東京フィルムセンター映画・俳優専門学校名誉学校長。
津川:
「画王」のCM出演が決まったとき、パナソニックさんに招かれて。そこに集まられていたのが、大ヒットした話題のテレビ「クイントリックス」の開発といった実績がある功労者の方々だった。新しい「画王」がクイントリックスを上回ればいいねと言われたことを覚えてるよ。
垂水:
キャンペーン制作前に工場見学に招かれ、生産台数が他社をはるかに上回る生産ラインを目の当たりにし、どれほど力を入れている商品なのかを強く感じました。「画王」はBSチューナーを内蔵したテレビで、まさに「BS時代の新テレビジョン」という位置づけです。まったく新しいことをやろうという合言葉でパナソニックの方と一緒に企画をスタートさせました。そうした中で、まず「画王」のネーミングが決まり、王国のビジュアルプランが決まり、はじめて津川さんに出演のお願いをしたわけです。
津川:
最初なぜ、僕なんだよと思ったね。
垂水:
「津川さんがほしいのではなく、“王様”がほしいんです」という説得に津川さんはうなずいてくれました(笑)。
津川:
説明してもらった王国のイメージが気に入って、出演を引き受けたんだな。
垂水:
王国のイメージ自体が、商品ブランドを物語るものでしたから、デザイナーは何百枚もの王国スケッチを描きました。出演者が身に付けるアクセサリーの一つひとつも凝りましたし、衣装デザインもああでもない、こうでもないと300枚を超えるスケッチを描きあげ試行錯誤しました。

