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コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

「新しい地図」とSHOWROOMには共通点がある(ゲスト:前田裕二)【中編】

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【前回コラム】「本さんがCES@ラスベガスの会場から生中継(ゲスト:前田裕二)【前編】」はこちら

今回のゲストは、先週に引き続きSHOWROOMの前田裕二さん。SHOWROOMの原点となるインドでの体験を、赤裸々に語る!

今回の登場人物紹介

左から、前田裕二、中村洋基(すぐおわレギュラーゲスト)、権八成裕(すぐおわパーソナリティ)。

※本記事は1月18日放送分の内容をダイジェスト収録したものです。

運命に対するイラつきをずっと抱えていた

前田:僕は8歳でお母さんが死んで、その前に3歳のときにお父さんが死んでるんですね。親が早くに亡くなるというのはまわりであまり起きないじゃないですか。亡くなった後に住むところが見つからずに、8歳のときに半年以上ホームレスを経験しました。他にもいろいろな要素が畳みかけるように小学生ぐらいのときにあって。

それによっていろいろな制約があったんですよね。自分ってなんで後天的に悪いことしたわけじゃないのに、逆境に晒されないといけないんだと。運命に対するイラつきみたいなものがずっとあったんですよ。一番大きな要素としてあったのは、インドに行って、日本という環境に生まれたこと自体が相当恵まれてたなと、俯瞰で見て思ったんですね。

権八:インドに行ったのはいつですか?

前田:21歳のときに国籍を初めて取ったんです。自分が20年間、不幸だなと思って生きてきたわけなんですけど、もっと大変な人たちがいるはずだと。不幸の度合いでいうと、与えられた環境がもっと恵まれていない人たちは絶対いるはずで、そういう人達を目の当たりにしたときに自分の価値観はどういう風に揺れるんだと思って、インドに行ってみたんです。

インドを選んだのは内定先の銀行の先輩たちが「そういう価値観を見つめたいときはインドに行け」とみんな言っていて。何かインドにあるんだろうなと思って行ったんですけど、インド横断の旅という感じで、東から西まで寝台列車で、バックパッカーでやってたんですけど、深夜に寝ていたら服を引っ張られて、下を見たら、物乞いの少年がいたんです。

権八:それは寝台列車の中で?

前田:そうです。何か嫌だなと思うじゃないですか。無視しようと思っていたら演奏しはじめたんです。何だ?と思って見たら下半身がないんです。それってすごい逆境なんですけど、彼は残された2本の手だけで乗り越えようとしている。その生きるエネルギーにめっちゃ感動して、とりあえず全財産を渡したんですね。

中村:全財産!?

前田:そのとき僕がもっていた全キャッシュ、3、4万ぐらいですけど、彼にとっては大金だと思いますけど。

権八:めちゃくちゃ大金でしょうね。

次ページ 「インドで「逆境」には2種類あると気づいた」へ続く