コラム

澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所

新作『未来のミライ』は長男の“ある行動”から生まれた(ゲスト:細田守)【前編】

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子ども目線で切り取ることで、多くの人が見る作品になりうる

細田:今、うちの子どもが5歳と2歳なんですけど、これを発想したときは3歳と0歳だったんです。映画と同じように下の子が生まれたときに上の子が荒れちゃって。僕ら親は赤ちゃんを何とかするのにいっぱいいっぱいで、上の子は放っておかれちゃうじゃないですか。

そうすると、自分は捨てられたと思って、床に寝転がって大暴れ、ワンワン泣いて。そういう姿を見たときに思ったのは、愛を奪われた人間というのはこんなにみっともなく、泣き叫ぶものなんだなということ。自分の子どもを見ながら思っちゃったんですけど、でも考えてみたら、僕らも若いときに異性にフラれたりすると、床を転げまわりたくなるほど悲しかったけど、大人だからしないじゃないですか(笑)。

中村:そうですね。

細田:でも気持ち的にはワンワン泣きながら走って帰りたかったと思うんです。人生は愛を巡る攻防がいろいろあるわけでしょ。その最初が、妹が生まれて、親の愛を奪われる体験だと思ったんです。ここからずっと愛にまつわるさまざまなことで苦しめられたり、たまには良い思いをしたりするかもしれないけど、そうやってずっと人生を過ごしていくものだとしたら興味深いなと。ここから人間としての人生がはじまると思って、それを映画にしようと思ったんですよね。

中村:これを映画のストーリーに膨らませていこう、というときに、どういう展開を細田さんはお考えになったんですか?

細田: 4歳の男の子が主人公でありながら、どんな世代にも当てはまる話というのかな。アニメーションってもともと子ども向けの側面もあるから、子どもが出てくると「子どもだけが見るものですね」って思われがちだけど、実は子ども目線で切り取ることで、かえってどんな人でも当てはまるような内容にできるんです。

だって、みんな子ども時代があったり、4歳時代があったりするわけだし。よもや、日本だけじゃなく海外の人も、子どもはその国の社会性を受ける前だから、ある意味、全世界共通の感情について描く、有効な切り口だと思ったんですよね。

中村:それで言うと、『未来のミライ』は96の国と地域(2018年7月現在)での配給が決定しており、先日行われたカンヌ国際映画祭の「監督週間」にアニメーション作品として唯一選出されて、世界初の上映が行われたんですよね。カンヌの反応はどうだったんですか?

細田:監督週間というのはカンヌ映画祭の中でも作家性の強い作品を集めた部門なんです。フランスの映画監督協会が主催する上映会、というと変ですけど。そこにまさか選ばれるとは思ってなかったので、びっくりしました。実は監督週間どころか今年の全カンヌの上映作品の中でアニメーションは唯一だったんです。カンヌって僕のイメージからすると、上から目線というか、権威的というか。

中村:そうですね、赤絨毯でセレブが。

細田:そうそう。そのイメージがあって、ちょっと怖いなと思ってたんですけど、実際に行って上映すると、温かい拍手をもらって、イメージが覆っちゃいました。映画愛が強い人達だなと。監督週間のディレクターもそうだし、映画ジャーナリストも観客もそうなんですけど、映画愛が強いから、ある人から見ると、とっつきづらく見えるかもしれないと。でも、映画愛だけは誰にも負けないぞという空気がカンヌの中に満ち満ちていて。その中でこの作品が祝福されているように感じられたのがよかったですね。

澤本:拍手が鳴りやまなかったと聞きました。

細田:そうなんですよ。それはうれしかったですし、そのときだけじゃなくて、その後の取材依頼もびっちり入っていて、各国の方と話してもそういうことを裏付けるようなインタビューで。「自分の国のことのように見ました」と言われて。家族をどういう風に現代として切り取って描いていくかという問題意識を含めて、積極的に聞いてくださったこともあわせて、とてもいい体験でしたね。

僕は12年前に『時をかける少女』で映画祭にたくさん呼ばれるようになってから、むしろ自分が日本人の監督であること、日本の現代を描写することが実は大事なことなんだと映画祭で気づかされたんです。というのは、他の国もそのときどきの国のネタを出して、「うちの国はこうなんだけど、みんなどう思う?」と、映画祭で会話しているようなムードがあるんですね。

だからこの映画も“海外向け”と言うと、もっとグローバルな内容にしないといけない、国の事情に偏らないようにというのがあるかもしれないけど、こと映画に関してはむしろ「日本とは何か」、「日本人とは何か」、「自分が日本人の監督というのはどういうことか」ということを改めて突き付けられるようなところがあると思うんですよね。

そういうことが作品に反映しちゃうんです。たとえば、『未来のミライ』には雛祭りが出てくるんですよ。でも雛祭りをカンヌの上映で字幕で見てると、ドールフェスティバルという訳になってるんです。

一同:(笑)

細田:ニュアンス違うなと思うんですけど、ドールフェスティバルという言葉から他の国の人は、自分の国にもそういうお祭りあるかなと無理やりくっつけて、面白かったと言ってくれて。ここで「雛祭りはあまりに日本人的すぎるから違うことにしよう」というのでは案外ないのかもしれない、と思うんですよね。

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