何者でもなかった18歳は後天的に勝負できる経営を選んだ(ゲスト:dely 堀江裕介)【前編】

東日本大震災と孫正義の存在によって起業の道へ

中村:そもそも、delyの起業っていつですか?

権八:そうだよね、今日はその話を聞くんだよね。

中村:2014年の大学在学中で、当時1年生でしたっけ?

堀江:1年の頃に、インターネット業界の人に会い始めました。実際に登記したのは2年の時だと思います。当時は、慶応のSFCに通っていました。

権八:そうなんだ。

堀江:SFCには多数の起業家がいるって聞いて、田舎からワクワクしながら出てきましたね。でも、実際は全然いなかった(笑)。その時、東京に行くしかねえと感じましたね。

中村:子どもの頃は群馬にいたんですね。当時から起業家を目指していたんですか?

堀江:子どもの頃は目指していなかったです。両祖父は起業家ですが両親は銀行員で、僕自身はプロ野球選手になりたいみたいな、一般的な子どもだったかな。小学校1年生から高校3年生まで野球やって、最後は腰を怪我しちゃいました。最後の夏は準決勝で負けましたけど、その年は前橋育英とか強豪校を倒したりしていましたよ。僕らの学校は進学校だったので強くない。普通にやったら勝てないので、とにかく分析して考えました。ライバル校の映像を何千回とみんなで観たりして。

中村:堀江さんはSFCに行けば、起業家がゴロゴロいるって聞いて入学したんですよね?その時点で起業しようというモチベーションはあったんですか?

堀江:高校3年生の時からですかね。そこまでは、仲の良い先生に教師になれって言われていたので、教師になろうかなって思っていました。大学も体育学部や教育学部のある国立を受ける予定でした。そこで迎えた大学入試の後期試験の前日に、2011年3月11日の東日本大震災が起こって。その時に、「俺はこんなことやっている場合じゃないかもな」って感じたことが大きかったですね。高校生の時って、1人でホテルに泊まる体験ってあんまりないじゃないですか。そんな中で、当日はずっと警報が鳴っていて、多くの人がホテルのロビーに避難している状況でした。その地域で実質的な被害はなかったんですけど、ずっと震度6強とかの地震が続いて。これまでになかったことを考えさせられたり感じたりして、人生のスイッチがパチンと入った感覚ですね。

そこから、「とにかく何かしなきゃ」と思うようになりました。凡人の生き方を進んできた自分が、まだここから巻き返せる方法はなんだろう、と考えましたね。18歳まで打ち込んだ野球での大成は無理だと判断したから運動は捨てて、世の中に影響を持っている人はどんな仕事をしている?と考えて、歌手とかも思い浮かべたりしました。ただ、歌が上手い人もいっぱいいるし、これも才能だよなと思いながら。最終的には、後天的に勝負できるものはなんだ?と考えている時に、テレビで孫さんが「100億円寄付します」と言っていて、「この人魔法使いみたいだな、何でもできるじゃん」と感じたことが決め手に。野球も通信キャリアも含めて、孫さんは何でもやっている人ですよね。

僕も色んなことがやりたいし、自分の可能性を無限に広げたいと共感して、経営者を目指すようになりました。経営者はある意味なにも軸がない、やりたいことをやる職業だなと思って。かつ、それで世の中に貢献できれば面白いなと。そこでSFCに入ったものの、起業家を目指す人間が見当たらずに、学校にあまり行かなくなりました。当時は、何をやっていたわけでもなく、家に帰って本をずっと読んでいました。時間が過ぎる中で、どうやって人がお金を稼いでいるのかを考え始めて、上場企業の決算資料を読み始めました。そうすると、だいたいパターンが見えてきて。いきなり何か始めても絶対に上手くいかないから、まずは経営の歴史を学び続けましたね。

そこから、東京のインターネット会社で2〜3ヶ月だけ働きました。その際に、「これだったら自分でもできるな」と思って、起業した感じですね。凄そうに見えている人って当時たくさんいたんですけど、何もやっていない時はだいたい過大評価してしまっている。バイアスがかかっているんですよ。実際は、その世界に入り本気でやってみたら、意外と簡単にひっくり返せることもある。でもそこには、僕が勝てるルールというか、僕だけにしか見えていないビューがあって。簡単に言うと、100億円を集めて、事業にぶっ込むっていう超単純な話(笑)。

中村:ハハハッ!すげえ(笑)。

<後編につづく>

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すぐおわアドタイ出張所
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