『僕たちの広告時代』 — はじめに 間宮武美著

私は小さい頃、父親から“べらたけ”と言われていた。べらべらしゃべるおしゃべりな武美だから“べらたけ”なのだ。いまだにその習性は、少しも変わらないらしい。仲間たちからも話が長すぎると、よく言われる。

間宮武美『僕たちの広告時代』宣伝会議
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最近、パソコンを小型の持ち運び自由なものに変えた。家の近くのファミリーレストランの片隅で、お客の少ない時間帯にコーヒーをお代わりしながら、黙々と本書の原稿の推敲を重ねている。書斎の作業よりも、なぜか集中できるからだ。調べたいことがあるとパソコンやスマホですぐに確認ができる。ものすごい便利な時代になったものだ。

平成から令和という時代に移り、広告業界はデジタル化社会の台頭で、ますます大きな変化の時代を迎えている。特に広告を囲むメディア環境が大きく変化してきた。メディアがチャネル(多数の情報経路)に拡大し、広告はエンゲージメント(生活者と親密な連携)へと役割が加速的に変化してきた。

従来のメディアであるテレビや新聞からの情報収集が、パソコンからの情報収集に変わり、さらにスマホからの情報収集へと、コミュニケーション行動が多様化してきた。チャネルが変われば広告の目的も変わり、企画や表現も変わってくる。同時に日常生活も面と向かった会話から、メール中心のコミュニケーションに移行している。

その大きな時代の空気の中で、忘れてはいけない大事なことを考えながら、本書では著名人、先輩、仕事仲間との間で交わした会話で繰り広げられた数々の出来事を書き下ろした。

一九七四年(昭和四九年)、戦後初めて経済成長がマイナスになった。オイルショックで民放各社が深夜放送を自粛した頃のことだ。

このオイルショックを機に高度成長期は幕を閉じた。その後いわゆる安定成長期に入り一九七〇年代後半から大きく時代の変化が起こり、バブル崩壊の一九九一年(平成三年)頃まで国民総生産は徐々に伸びていった。

町にはセブンイレブンの一号店が開店し、新幹線が東京から博多までつながり、クロネコヤマトの宅急便がスタートした。その後、成田(新東京)国際空港が開港し、ウォークマンが誕生し、そして東京ディズニーランドが開園した。こうした時代背景をバックにライフスタイルや生活意識が多様化し、日常生活に大きな変化をもたらした。広告自体が生活の価値観や生活の欲求に応じて、心の満足を求めるという点で、広告のもつ役割も大きく変化してきた。“良い、悪い”から“好き、嫌い”という価値観の基準も容認される時代になったと言える。

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