2004年に米国・ニューヨークで始まった「Advertising Week」は、2016年から東京を舞台に「Advertising Week Asia」が開催され、今回は連続6回目の開催にあたる。「Advertising Week Asia」に登壇したスピーカー5名に「広告ビジネスにおけるイノベーション」をテーマに、4つの質問を投げかける。
あらゆる産業において、顧客の変化に合わせて、ビジネスの形自体を大きく変えざるを得ない状況が生まれています。 そのひとつの活動がDXの推進ですが、目指すべきゴールが見えなければ、デジタルのような手段は活用ができません。それでは、「広告・メディア」ビジネスは、いったい何をゴールに時代に合わせた進化を遂げればいいのでしょうか。広告ビジネスのど真ん中にいる方、テクノロジーの力をもって新しく広告ビジネスに参入してくるプレイヤーなど「Advertising Week Asia」に参加するメンバーに一問一答形式で回答してもらいました。
前回の質問は「
広告・メディアビジネスが目指すゴールと、DXの果たす役割は何だと思いますか?
」
今回の質問は「10年後も生き残れる「アドパーソン」にはどのような(広告・メディアビジネスの)スキルが求められると思いますか?」。「Advertising Week Asia2021」登壇者への一問一答最終回です。
Question「10年後も生き残れるアドパーソンにはどのような(広告・メディアビジネスの)スキルが求められると思いますか?」
【安藤氏のAnswer】
『広告に恋した男』(ジャック・セゲラ著/ソーシャルキャピタル刊)という本があります。ぼくの言葉なんかより、そちらの文章が素敵なので引用しますね。
「広告マンの仕事は、消費生活を豊かにすることだ。広告がなければ、商品はただの物にすぎない。そうした物に、夢を与えて、つまらない毎日の買物を楽しいものにするのだ」
本質的ではない、と思いますか? 広告は商品の真の価値を的確に伝えるべきだ、と思われますか? いやもっと踏み込んで、世の中にとっていちばん大切なことは商品が売れることではない、社会をよくするメッセージを伝えたい、と思われますか?
ぼくもそう思います。でも商品の「真の価値」ってなんでしょう? 社会が「よくなる」ってなんでしょう?
「選ぶべきなのは、広告か、非広告かではなく、広告か、プロパガンタか、つまり好きなものを選べるアラカルトか、決められたメニューかということだ。広告は、欠乏経済の理論家たちを向うにまわして、豊かな社会、選択の自由を日々、説いている」
ソーシャルグッド、といわれます。しかし、それが「グッド」だって誰が決めたのですか? 少し立ち止まって考えるならば、正しさとは、とても難しい概念です。誰にとって正しいのでしょう? どんな前提で正しいのでしょう? 何が必要なのか、何が価値なのか? 簡単に決められることではありません。それを問いあい探りあい、共に築きあいながら進むのが私たちの社会ではないでしょうか。
「広告のない世界は、絶対服従の世界でしかない」
無前提に信じられた「グッド」をインパクト強く表現する広告なんかより、なにがグッドなのかを問いあうための広告。ぼくはそういう自由な広告を信じ、愛してきました。
