オリコム創業100周年 大塚尚司社長に聞く「進む道は自分たちで選ぶ」

オリコムは、4月8日に創業100周年を迎える。交通広告・OOHに強い総合広告会社としてのポジションを持つほか、独立経営を続けてきたことも同社のユニークな点といえる。大塚尚司社長に100周年を迎えるにあたっての思いや、組織目的を定めた理由について聞いた。

国内で唯一のユニークな会社

オリコムの歴史は、1922(大正11)年に斎藤岩次郎が新聞折込広告の取り扱いを始めたことから始まります。のちに「折込広告社」として独立し、戦後の復興を経て高度成長期に業容を拡大していきました。

さまざまなことがありました。関東大震災と東京大空襲の2回、銀座の社屋を失いました。リーマンショックなど、不景気の影響も受けました。多くの困難を乗り越えて今があります。

100周年の節目を迎え、改めて逆境に強いDNAを築いてくれた創業者や先輩方、そしてこれまで当社を支えてくださったクライアントやメディアの皆様に感謝申し上げます。

おおつか・しょうじ
1958年生まれ。立教大学経済学部卒業後、1982年4月オリコミ(現オリコム)入社。メディア本部ラジオテレビ局長などを経て、2009年取締役営業本部長。常務取締役を経て2015年4月から現職。

オリコムはおもしろい会社だと思います。日本の交通広告の近代化をリードしてきた会社のひとつであり、今も売上げに占める交通広告の比率は高いですが、マスメディアからクリエイティブ、デジタルまで、ひと通りの機能が揃ってバランスが取れています。「交通」という旗印を持っていたことが会社にとって強みでもあり、一方で顧客課題に応えるニュートラルな提案もできる強みもある。広告会社には新聞社系や鉄道会社系、ハウスエージェンシーなどさまざまなタイプがありますが、当社は独立したポジションを維持してきました。100周年の節目で改めて振り返ってみて、国内で唯一といってもいい存在ではないでしょうか。

思い出深い仕事は数多くありますが、ひとつ挙げるなら1989年から3年連続で開かれた「ワールドカップ マスターズ サッカー」です。サッカーのワールドカップで活躍したスター選手らが来日し、南米対ヨーロッパ代表チームでゲームを行うもので、当社が事務局業務を務めました。テレビ放映の手配からスポンサー獲得のセールスまですべて社内で行いました。当時は営業でしたが、営業の仕事の傍ら事務局を手伝っていました。

今でもよく覚えていますが、ある日、あの(元ブラジル代表の)ジーコが「(車の)ワイパーが壊れた」と事務局に駆け込んできたのです

次のページ
1 2 3
この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

この記事を読んだ方におススメの記事

    タイアップ