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コラム

51歳CD、お寺のブランディング・ディレクターになる

西本願寺の「変革者」との出会い クリエイターは片腕になれるか

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親の健康問題がきっかけでフリーランスに

「お父さん、倒れたんや。」京都の実家の母からの電話は、入院の3日後だった。昨年(2022年)3月。84歳でも毎日ジョギングするほど元気だったのに、走って帰って風呂から出た直後、持っていた水のグラスを落とし、崩れ落ちて立てなくなってしまったという。

救急車で運ばれ、命は取り留めた。母と、京都に住んでいる弟が、入院手続きその他を色々やってくれたのだが、僕への連絡が3日後になってしまったとのこと。連絡できないほど余裕がなかったのだろう。

コロナ禍の間の実家では、元気な父が買い物その他、外に出る必要のあることはやってきてくれたのだが、それは足の悪い母を気遣ってのことだった。しかし母はほとんど外出しなくなったことで、コロナ前よりも歩くのが難しくなってしまっていた。そんな母も、父の入院後、心労や慣れない病院通いの負担などが重なったのであろう、8月に大きく体調を崩して一時期はものがほとんど食べられなくなってしまった。さらに、古くなった実家の床が部屋によって沈んできており、母が住む上で安全に不安があるので建て直す必要も出てきていた。

そういったわけで、昨年はフルタイムの会社員だったが、春から、週末と前後の日を中心に実家のある京都で過ごし、実家のことを色々やり、父の病院にお見舞いに行く生活になっていた。これが実現できたのは、オンラインでも仕事ができる時代になったこと、そして僕の不規則な勤務を許してくれた前職のスマートニュースの同僚とチームメンバーのおかげであり、心から感謝している。

そうして週一で京都に通っていたのだが、物理的に半分以上は京都にいる生活じゃないとやはり色々難しい。このような状況では、突発的な対応も多い広報責任者をフルタイムで務めるのは、会社にも、チームメンバーに対しても責任を果たせない。そう判断し、本格的に二拠点生活を始めるために、昨年いっぱいでスマートニュースを退職することを決めた。

僕の二拠点フリーランス生活はそうしてはじまった。ずっとフリーランスでやっていく、というつもりはなかったのだが、しばらくはフルタイムで働くのは難しいと思った。僕が知っていたクリエイターの先輩や後輩の独立は、大きな仕事や受賞を立て続けに成し遂げて満を持しての独立だったり、フリーランスの方があっているのではと悩み抜いての独立で、みんな時間をかけて決めたのだろうなと思っていた。

それに比べると、僕の独立は、いわば行きがかり上の独立で、即断だった。なんとかなるだろうとは思ったが、一年目は厳しいだろうな、とも思っていたので、退職してフリーランスになるつもりであることを、晩秋頃から親しい人々には伝えていた。そこからいくつか仕事のお話をいただくことができ、皆さんとのご縁に本当に感謝している。その中のご縁の一つが、友人Aさんが紹介してくれた西本願寺の仕事だったのだ。

写真 四条大橋から見た鴨川。懐かしい京都と東京の二拠点生活がはじまった。
四条大橋から見た鴨川。懐かしい京都と東京の二拠点生活がはじまった。

自分に縁のある地域とテーマに貢献すること

「京都の西本願寺に定期的に通えることが条件で、ブランディングとマーケティングができる人を探している」というお話だった。そんなことってあるの!と思った。というのも、京都で仕事ができることはもちろん嬉しかったのだが、実家で同居していた伯母が(亡くなっているが)西本願寺の出版部に勤めていたので、小さなころは本当によく西本願寺に遊びに行っていたのだ。

お堂や境内が遊び場で、月1回以上は行っていたと思う。伯母の部屋にはたくさん親鸞関係の本があった。伯母の葬儀ももちろん本願寺派のお坊さんに来ていただいたし、うちの家は代々西本願寺の墓所に納骨している。つまり、僕自身はあまり足繁くお寺に通っているわけではなかったが、いわば薄い門徒(信徒)であった。断る理由がなかった。

「紹介したいのは、西本願寺のトップに就任された、安永雄彦さんという方。東京の築地本願寺の改革に取り組んでこられたプロセスを『築地本願寺の経営学』という著書にされている。今度は、西本願寺のトップとしてお寺の経営改革を手がけられる」とAさんから伺ったので、さっそく購入。12月の中旬に安永さんにお話を伺いにいったところ、様々な論点で意見が合ったこともあり、年明けからブランディングを任していただけることになった。

「まず、変革コンセプトを決めたい」とのこと。さまざまな企業や組織のミッションやパーパスを書いてきたが、浄土真宗の始まりから数えれば800年の伝統を持つ、お寺の改革コンセプトを書くには、歴史と思想をひもといた勉強が必要だと感じた。で、とにかく、周りの人に「自分の今後や、やりたいことを言っておく!」これが大事なので読者のみなさんも、変化の時は、どんどん周りの人に伝えてほしい。

こうして期せずしてフリーランスとなり、初めてのクライアントはお寺となった。期せずして人生後半の仕事に取り組み始めた気がしている。この先どうなるか・どう働くかは定かではないが、人生100年時代と言われるこれからの時間、いずれゆっくりと仕事の重心を故郷の京都に移していき、京都に貢献したいと思っていたので、ちょっと早まったかな、というくらいだ。

そのテーマとして「お寺」の変革はとてもやりがいがある。生まれ育った京都、伯母が勤めていた西本願寺で、自分が今まで培ってきた技術やナレッジを活用できることは幸せだ。考えてみれば、日本の人材は東京に集中しているので、それぞれが故郷に戻り、活躍することはいいことのように思う。

さらに、僕の場合は、孤独・孤立化の問題にとても関心があった。特に、僕自身が就職氷河期世代だが、200万人の同級生の、就職できずフリーターになった多くの人たちはどうしているだろうか。25年経った今、スキルとお給料を積み上げることが難しく困窮しているという記事を何度も見る。多くの同級生たちがどんどん社会の中で孤立するのではないかという危惧がある。お寺という存在がこうした孤独の問題に対して、何か役割を果たせるのではないか?と思ったのだ。

写真 人物 集合 12月7日のブランドマーク・タグライン発表会にて。中心が安永雄玄西本願寺執行長。右が京都のデザイナー、サノワタルさん。
12月7日のブランドマーク・タグライン発表会にて。中心が安永雄玄西本願寺執行長。右が京都のデザイナー、サノワタルさん。

そこから一年、なんとか走り切った。ブランドコンセプトを決め、タグラインとブランドマーク(ロゴ)を決めて、新しい西本願寺の方向性を内外に示すところまで来ることができた。そんなプロセスを振り返って、変革の仕事をしている方々にヒントを提供できればうれしい。方向性を形にしていく中での経験や気づきを、このコラムシリーズの中で皆さんにお伝えしたい。

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