西本願寺の「変革者」との出会い クリエイターは片腕になれるか

親の健康問題がきっかけでフリーランスに

「お父さん、倒れたんや。」京都の実家の母からの電話は、入院の3日後だった。昨年(2022年)3月。84歳でも毎日ジョギングするほど元気だったのに、走って帰って風呂から出た直後、持っていた水のグラスを落とし、崩れ落ちて立てなくなってしまったという。

救急車で運ばれ、命は取り留めた。母と、京都に住んでいる弟が、入院手続きその他を色々やってくれたのだが、僕への連絡が3日後になってしまったとのこと。連絡できないほど余裕がなかったのだろう。

コロナ禍の間の実家では、元気な父が買い物その他、外に出る必要のあることはやってきてくれたのだが、それは足の悪い母を気遣ってのことだった。しかし母はほとんど外出しなくなったことで、コロナ前よりも歩くのが難しくなってしまっていた。そんな母も、父の入院後、心労や慣れない病院通いの負担などが重なったのであろう、8月に大きく体調を崩して一時期はものがほとんど食べられなくなってしまった。さらに、古くなった実家の床が部屋によって沈んできており、母が住む上で安全に不安があるので建て直す必要も出てきていた。

そういったわけで、昨年はフルタイムの会社員だったが、春から、週末と前後の日を中心に実家のある京都で過ごし、実家のことを色々やり、父の病院にお見舞いに行く生活になっていた。これが実現できたのは、オンラインでも仕事ができる時代になったこと、そして僕の不規則な勤務を許してくれた前職のスマートニュースの同僚とチームメンバーのおかげであり、心から感謝している。

そうして週一で京都に通っていたのだが、物理的に半分以上は京都にいる生活じゃないとやはり色々難しい。このような状況では、突発的な対応も多い広報責任者をフルタイムで務めるのは、会社にも、チームメンバーに対しても責任を果たせない。そう判断し、本格的に二拠点生活を始めるために、昨年いっぱいでスマートニュースを退職することを決めた。

僕の二拠点フリーランス生活はそうしてはじまった。ずっとフリーランスでやっていく、というつもりはなかったのだが、しばらくはフルタイムで働くのは難しいと思った。僕が知っていたクリエイターの先輩や後輩の独立は、大きな仕事や受賞を立て続けに成し遂げて満を持しての独立だったり、フリーランスの方があっているのではと悩み抜いての独立で、みんな時間をかけて決めたのだろうなと思っていた。

それに比べると、僕の独立は、いわば行きがかり上の独立で、即断だった。なんとかなるだろうとは思ったが、一年目は厳しいだろうな、とも思っていたので、退職してフリーランスになるつもりであることを、晩秋頃から親しい人々には伝えていた。そこからいくつか仕事のお話をいただくことができ、皆さんとのご縁に本当に感謝している。その中のご縁の一つが、友人Aさんが紹介してくれた西本願寺の仕事だったのだ。

写真 四条大橋から見た鴨川。懐かしい京都と東京の二拠点生活がはじまった。
四条大橋から見た鴨川。懐かしい京都と東京の二拠点生活がはじまった。

次のページ
1 2
原田 朋(クリエイティブディレクター/PRディレクター/コピーライター)
原田 朋(クリエイティブディレクター/PRディレクター/コピーライター)

博報堂クリエイティブディレクター、スマートニュース広報責任者を経て、2023年独立。コピーライター出身の発想力と、テックベンチャーでの企業広報経験を掛け合わせ、ブランドの言葉を大切にした統合マーケティングコミュニケーションを実践。Code for Japan理事としてシビックテック普及にも注力。博報堂フェロー。

原田 朋(クリエイティブディレクター/PRディレクター/コピーライター)

博報堂クリエイティブディレクター、スマートニュース広報責任者を経て、2023年独立。コピーライター出身の発想力と、テックベンチャーでの企業広報経験を掛け合わせ、ブランドの言葉を大切にした統合マーケティングコミュニケーションを実践。Code for Japan理事としてシビックテック普及にも注力。博報堂フェロー。

この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

このコラムを読んだ方におススメのコラム

    タイアップ