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コラム

新版・伝説のPRパーソン~広報の歴史的発展に貢献した人々~

世界初のプレスリリースを書いた現代PRの父、アイビー・リー

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新聞記者から広報エージェントへ転身

アイビー・レッドベター・リー
(Ivy Ledbetter Lee、1877-1934)

 

「現代パブリック・リレーションズのパイオニア」「現代PRの父」と呼ばれるアイビー・リーは、私たちが現在、あたり前のように実践している、さまざまな広報手法を発案・実用化しました。

また、読者の皆さんのなかには、「前日夜に、翌日やるべき事がらを6つ書き出し、当日は上から順番に実行する」という「アイビー・リー・メソッド」の発案者としてご存じかもしれません。

リーが活躍した20世紀初頭から1930年代のアメリカは、産業・経済・政治・文化、さらには第一次世界大戦を通して、国家として大きく変化し、世界のリーダーとなっていった時代です。大企業が次々と誕生し、貧富の差が拡大すると共に、人口が集中する都市と地方との格差増大が深刻な問題となっていました。

また、新聞・雑誌がマスメディアとしての地位を確立し、ラジオ・テレビが新しいメディアとして登場した時代でもあります。このような大きな環境の変化が、企業や行政に広報という新しい業務の重要性を受け入れさせると共に、それを担う広報エージェントという専門職が必要とされました。リーは、その新しい役割や職業の創造に深く関わっていました。

当時の広報エージェントは新聞記者から転身した者が多く、リーもその一人です。アメリカでラジオ放送が始まったのは1920年、テレビは1941年ですから、リーにとって最も重要な仕事は「書く」ことでした。

筆まめなリーは、クライアントのプレスリリースを自ら書き、スタッフの原稿をすべて校正していました。また、著書こそ残していませんが、講演録や自身の考えを紹介する小冊子を18冊、寄稿を69本残しています。

 

鉄道事故から生まれた、世界初のプレスリリース

リーが注目を集めたのは、1905年に起きたペンシルベニア炭鉱の労働者争議に関する広報活動です。当時の多くの会社が秘密主義に徹していたのに対して、炭鉱会社に雇われたリーは、争議の交渉過程や会社の決定事項の情報開示に踏み切ります。

さらに、自身の決意を「原則の宣言(Declaration of Principles)」にまとめて新聞各紙に送り、公平かつオープンな情報提供を約束し、争議の早期解決に貢献しました。

また、1906年に起きたペンシルベニア鉄道の脱線事故では、事故発生後から毎日、鉄道会社の声明文を発表しました。これが初めてのプレスリリースと言われています。また、記者を事故現場に呼び寄せて現状視察に基づく記事作成に協力しました。

従来、鉄道会社の事故は秘密裏に処理されていたものでしたが、リーの広報活動のおかげで、大惨事だったにもかかわらず、ペンシルベニア鉄道に対する非難はほとんどなかった、といわれています。

リーがペンシルベニア鉄道の脱線事故後に配信した、初のプレスリリースを元に書かれたニューヨーク・タイムズ紙の記事(所蔵:筆者)。記事中、「声明によれば~」との記載があり、記事がプレスリリースを元に書かれたと推測される。

 

「ロックフェラー・センター」誕生を後押しした

これらの活動が、当時大衆や新聞とのコミュニケーションに苦慮していた企業から高く評価され、リーはその後スタンダード石油の創業者であるジョン・D・ロックフェラーやベツレヘム・スチール社長のチャールズ・シュワブなど、多くの大企業家の広報顧問を務めました。

特にロックフェラー家との関係が深く、コロラド炭鉱争議の広報支援を通してロックフェラー家を守り、ニューヨークのロックフェラー・センターの命名時に、自身の名前を付けることを渋ったジョン・D・ロックフェラーを説得したことも知られています。

ロックフェラー・センター
1939年に建てられた「ロックフェラー・センター」。

実は、リーは日本とも関係がありました。太平洋問題調査会という国際会議の米国団の一員として、1929年に開催された京都会議に参加するため来日し、会議終了後は古川家三代目当主の古川虎之助と、古川家の迎賓館で会談しています。

来日中、あの世界恐慌が発生し、リーは米国のクライアントに毎日電報を打って励ましていたほか、ジョン・D・ロックフェラーに米国社会を勇気づける社告を出すよう助言もしています。

リーが発案・実用化した主な広報手法は次のとおりです。いずれも、現代広報で一般的に活用されていますが、今から120年ほどの歴史しかないというのも少々驚きます。

リーが発案・実用化した主な広報手法

  • ●プレスリリース作成と配信
  • ●記者会見の企画実践
  • ●クリッピング作成
  • ●広報誌(紙)発行
  • ●ニューズレター発行
  • ●社内広報
  • ●エンバーゴ(情報解禁日時) ※詳細は後述
  • ●第三者のコメント引用
  • ●クライアントの広報窓口一本化
  • ●マルチメディアの活用
  • ●寄稿

リーと共に「パブリック・リレーションズの父」と称されるエドワード・バーネイズは後年、自身とリーとの違いを尋ねられ、「彼(の仕事ぶり)はアートのようなものだが、私はサイエンスだ」と答えていますが、二人の違いについては、改めて紹介したいと考えています。

画像説明文
リーは受け取った手紙すべてに返信していた。これは、亡くなる2年前の1932年にジャーナリストのマーク・サリヴァンに返信した手紙(自筆サインあり)。

確かに、リーは常に完璧を目指し、最後まで自分でやり遂げたい職人タイプでした。広報エージェントを目指す若者にとって、リーは憧れの存在であり、1927年にPR会社「ヒル・アンド・ノウルトン」を設立したジョン・ヒルは、リーの講演集”Publicity”に感銘を受けたと述べています。

リーの生涯や彼の業績の詳細は、拙著『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』をご参照くだされば幸いです。

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広報豆知識(Public Relations Tips)~普段使っている専門用語の由来を知る

エンバーゴ(Embargo)

「情報解禁日時」を示す。正式発表前に行った記者会見での内容やプレスリリースの情報を、指定日時まで開示しないよう依頼するときに使用する。報道関係者は、この発表日時以前に記事掲載をしてはいけないという紳士協定を守ることを求められる。元は、スペイン語で「檻の中に入れる」、「拘留する」という意味の「embargar」。船舶業界で、自国の港に入港している外国の船舶を抑留して出港させないときに用いられ、「外に出さない」という意味から情報開示の禁止用語として転用されている。