PRエージェントの社会的地位向上に尽力した、広報のゴッドファーザー

1920年代に女性の喫煙キャンペーンなど手がける

エドワード・L・バーネイズ(Edward L. Bernays、1891-1995)
Bettmann/ゲッティイメージズ

 

心理学者ジークムント・フロイトの甥であるエドワード・バーネイズは、大学卒業後、演劇界での宣言業務や役者のマネジメントに関わります。

その後、第一次世界大戦へのアメリカ参戦に向けて国民の賛同を得るために、ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に組織したCommittee on Public Information(CPI:クリール委員会)に参加しました。

彼はCPIの一員としてヨーロッパに渡り、アメリカが「全ヨーロッパに民主主義をもたらす」ために第一次世界大戦に参加したのだ、というメッセージを広報するさまざまな活動に従事し、そのなかで多くのプロパガンダ手法を学びました。

大戦終了後、帰国したバーネイズは1919年にドリス・E・フライシュマンとPR会社を設立後、数多くの民間企業や団体から米国政府まで、広報宣伝活動を手がけました。

女性の喫煙キャンペーン「自由のたいまつ」行進(1929年)や、電球発明50周年式典(同)など、その代表的な業績やその手法・評価は詳細に紹介されています。フライシュマンは1922年にバーネイズと結婚した後も、彼の良き同僚として働きましたが、夫婦別姓を貫き、米国で初めて旧姓でパスポートを発行された女性としても知られています。

バーネイズとフライシュマンは、同僚であり、パートナーであり、男女同権運動の同志でもあった。

 

世論形成のための科学的な手法「合意の工作」

バーネイズの手法は、クライアントや当事者が前面に出てくるのではなく、集団心理の動きやそのメカニズムを理解し、イベントやキャンペーンを通して一般大衆や顧客に「購買」や「参加」といった特定の行動をとるように仕向けるものでした。

これは「口コミ」「バズ」「映える」といった、現在のSNS(ソーシャルメディア)が巻き起こす世論の反応を、いち早く実践化したものだったと言えるでしょう。彼の手法からは、バーネイズ自身はもちろん、クライアントなど、誰が主役なのか明らかではないものが多いのです。バーネイズは自身の手法は「同意を得るための技術」であり、世論形成のための科学的な手法として「合意の工作」(Engineering of Consent)だと呼んでいます。

バーネイズは、20世紀の広報・広告・マーケティング業界に多大な業績と影響力をもたらしましたが、本稿の後半では彼が広報エージェントや広告業という職業の将来性を信じて、その社会的地位向上のために取り組んだ活動をご紹介します。

たとえば、1923年にニューヨーク大学で初めての広報の講座を始めました。さらに多くの大学で広報や広告に関する講義をわずかな報酬で引き受けていました。バーネイズは「講座の規模や報酬の額は問題ではなく、最も権威あるアメリカの教育制度である大学と、自身の職業が関係づけられることが重要なのだ」と語っています。

また、自身のPR会社設立時に、法律用語から「カウンシル」を借用して「パブリック・リレーションズ・カウンシル」と自己紹介していたほか、広報PRという職業にニューヨーク州の資格制度導入を提唱し、悪質な広報エージェントの営業を一掃するため、アメリカ医師協会と同様の、公的団体設立運動を行っています。

 

『世論を結晶化する』『プロパガンダ』など名著多数

バーネイズの著書は、パブリック・リレーションズを志す人たちに強い影響を与えた。(左から)『世論を結晶化する』『プロパガンダ』『パブリック・リレーションズ』。

バーネイズは、『世論を結晶化する』や『プロパガンダ』など、数々の著作を残しています。これらの著作は世界中の人々が読み、特にプロパガンダ手法の理解と実践のための教科書となりました。

ナチス政権の国民啓蒙・宣伝大臣だったゲッベルスが、『世論を結晶化する』を所有していたことも知られています。興味を持たれた方はぜひ、名著『プロパガンダ』(中田安彦訳、2010年/成甲書房)を手に取ってみてください。

1960年代以降になると、広報エージェントという職業は尊敬されるべき価値があるものと位置づけられ、また確かな収入を得ることのできる職業として、ジャーナリズム専攻の学生が広報PRを就職先に選ぶようになりました。これはバーネイズの長年の努力の賜物だといえるでしょう。

100歳を過ぎた1990年代に入っても広報コンサルタントをはじめ、作家、講師、提唱者、批評家として現役を貫き、雑誌『ライフ』は1990年の特集号「20世紀の最も重要な100人のアメリカ」に、バーネイズを選出しました。

選出について、インタビュアーが「それでもあなたのことはほとんどのアメリカ人が知らない」と述べたのに対して、「そうだろうとも…だがこれでいいのだ。だれも私の医者が誰だか知らない。その医者が私の命をにぎっているのにだ」、と答えています。

この100歳時の興味深いインタビューが、『PR! 世論操作の社会史』(スチュアート・ユーエン著、2003年/法政大学出版局)に掲載されているので、ご一読をお勧めします。

第1回でご紹介したアイビー・リーは新聞記者としての経験に基づき、広報活動の基本は最後までパブリシティだと考えていました。一方、バーネイズはさまざまなタイアップ広報を企画実践し、成功のためならメディアに批判されても抵抗感はなかったようです。今なら「ソーシャルメディアで炎上しても構わない」と積極的に仕掛けていたかもしれません

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広報豆知識(Public Relations Tips)~普段使っている専門用語の由来を知る

ボイラープレート(Boilerplate)

ボイラープレート(Boilerplate)とは、使い回す前提で用意されたテキスト(文言)の通称。いわゆる「テンプレ」テキストのことで、海外のプレスリリースの文末にある会社紹介の定型的な文章のことを指す。また、コンピュータプログラミングの分野で、高頻度で使い回されるソースコード群なども、ボイラープレートに該当する。

この用語は新聞業界から生まれたといわれている。印刷によって配布するコラムや作品は、あらかじめ準備された印刷版の形で各新聞社に送られた。これは、ボイラーの製造に使用される金属板に類似しているため、「ボイラープレート」と呼ばれ、そこから作られる文章は「ボイラープレートテキスト」と呼ばれるようになった。それから転じて、ボイラープレートは、オリジナルではない「繰り返しのテキスト」を指す言葉になった。




河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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