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コラム

51歳CD、お寺のブランディング・ディレクターになる

西本願寺ブランド変革 鍵は僧侶10人へのヒアリング

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お寺もマーケットイン発想でなければ生き残れない

「まず、変革コンセプトから決めたい。」西本願寺のトップである安永雄玄執行長(しゅぎょうちょう)がおっしゃった。ちょうど一年前、2023年1月のことだった。安永さんがおっしゃることは一貫している。

「(寺は)『お葬式とお墓の管理をするところ』だと思われていますよね。でもシビアな話、その役割だけでは生き残れないと思います」という言葉から、僕は強い危機感を受け取った。彼はこの西本願寺のトップを務める前は、同じ浄土真宗本願寺派の東京・築地本願寺の変革を手がけていた。個人で誰でも生前申し込みできる新しい形のお墓「合同墓(ごうどうぼ)」やお寺には珍しい境内併設のカフェを考案してきた。その経緯は『築地本願寺の経営学: ビジネスマン僧侶にまなぶ常識を超えるマーケティング』(東洋経済新報社)という書籍にまとめられている。その功績が認められたこともあり、安永さんは本山(企業で言うところの本店)の西本願寺の改革に当たることになったのだ。

だが、築地本願寺とは難易度が違うと感じられているようだった。「本山でやることの難しさは当然あるんですね。」確かに、京都の本山から見た東京の築地本願寺は、企業で言えば、一つのエッジーな支店にすぎないかもしれない。企業変革をする時は、独立した「出島」を作ってやるのが良いと言われているが、その出島のような感じだ。まああそこはちょっと実験的な店だから、といって特別扱いされるような。しかし、この西本願寺は、浄土真宗本願寺派の総本山であり、そうはいかない。西本願寺のあり方は、全国のお寺のあり方そのものに関わってくるはずだ。それはきっと、800年の浄土真宗の歴史を背負った目で、全国のお寺の方が見ているということだろう。

僕は、今までに担当してきた企業の仕事では、改革を進めようとして「うちの会社らしくない」と異論反論が全社から出て頓挫するという例をいくらでも知っていた。企業変革とは、船を航行させながら、航行を止めないままで改造していくような難しさだと言われる。西本願寺の場合もそうなのかもしれない。


写真 風景 今年元旦の西本願寺
今年元旦の西本願寺。変革をお手伝いする仕事をはじめて一年。新しいブランドマークとタグラインが入った幕が掲げられるところまで、さまざまな方のご協力で到達することができた。

なぜ変革が必要なのか。しばらく前から様々なメディアで、全国のお寺が苦境にあるという記事を見るようになった。一般的に言われている分析はこうだ。昭和から平成にかけて、全国津々浦々にあるお寺の檀家から、若い世代が東京を始めとする大都市に出ていった。彼らはそれでもお盆と正月に里帰りしてお墓のお世話をしていたが、さらに子どもができて次の世代になると、もう田舎に行くのはしんどいから墓じまいしようとなり、お寺とも縁が切れてしまう。そして各地域では過疎化が進行して檀家の数が減る。

都会に出た人たちが都会でお寺にお参りするかと言えば、そんなこともない。そう、僕自身も、小さな頃は西本願寺によく遊びに行っていたが、働き出してからは、お正月に実家京都に帰省した時だけ、西本願寺の墓地である大谷本廟にお参りしているくらいだった。

「ニーズに合いそうな種になることをたくさん撒いて、その反応を見ながら力点を変えていくしかありません」元銀行員・元コンサルタントであり僧侶、という経歴を持つ安永さんの考え方は、長年マーケティングに携わってきた僕にも説得力を持って響いた。

こういうことだろう。浄土真宗の教えという強力なものがあって、今まで何百年もずっとその力に頼ってきていた。経営の世界で例えれば、ずっと強力なプロダクトアウトだったということ。しかし、世の中がすごいスピードで変化する時代。もう昔ながらのプロダクトではやっていけない。あらゆる企業がマーケットの変化を捉えて変革しようとしているこの時代、マーケットイン発想でなければ生き残れないということだと理解した。

安永さんの考え方は、西本願寺公式note【安永雄玄執行長インタビュー】で詳しく読めるので、興味を持った方はぜひ見てみてほしい。

悩みや苦しみの相談相手として、想起されるか

トップがマーケットイン発想の変革を心から信じていることは、ブランド変革を手がけるクリエイティブディレクターとしてはありがたい。一方で、お寺も企業も、変革はトップひとりの力で、ましてやクリエイティブディレクターひとりの力などで、実現できるわけではない。企業の場合は従業員の方々が、お寺の場合は僧侶の方々が、自ら納得して新しくなろうとした時に、変革の推進力が生まれ、実現するはずだ。僧侶の方々はどう思っているのだろうか?私はまず、最初の2ヶ月を調査資料の読み込みとヒアリングに費やすことにして、資料をもらうことに加えて、西本願寺でさまざまな役割を務める僧侶の方10人に時間をいただき、普段のお仕事、お仕事にかける思い、今お寺がどう思われていると思うか、お寺に来た人たちの思い出深い話などを伺った。

様々な資料から見えてきたことは、お寺は、お葬式とお墓に関してだけ思い出される存在になっていることだった。確かに自分もそうだ。親族が西本願寺の墓地に納骨されており「門徒」である自分の中にも、日常的にお寺に行く理由はなかった(浄土真宗では檀家や信徒のことを「門徒」と呼ぶ)。完全にお寺と縁が切れたわけでなくても、僕のような言わば「薄い門徒」や「薄い檀家」が多いだろう。


写真 人物 西本願寺をバックに撮影する原田朋さん
同じく今年元旦の西本願寺にて。左が御影堂。右が阿弥陀堂。元旦の朝の法要「修正会(しゅしょうえ)」に出てきました。

人はいつか必ず死ぬ。お葬式という形で、それを受け止めてくれるお寺があることはありがたい。亡くなった人を弔うのは、その人自身に安らかに眠ってもらうためであり、その人を失った周りの人々の悲しみや苦しみをいやすためでもあるだろう。お葬式はグリーフ・ケアの一つなのかもしれない。一方で、考えてみれば、人は生きている間にも、深い悲しみや苦しみを抱くことは何度もあるのではないか。僧侶の方々にヒアリングさせてもらって、たどり着いたテーマの一つはそれだった。10人の僧侶の生の声から、一人の方の言葉を、私がメモしたまま紹介したい:

「悩み事を持って来られる方はおられる。浄土真宗に縁がなくても、いらっしゃる。老若男女関係なく。みんな100%、こちらの話を聞きにきたのではなく、気持ちを聞いてほしくていらっしゃる。そういう時は、最後まで、もう話すことないわ、というところまで、聞きたいと思う。相手の生に触れたい。相手の景色を見たい。生の気持ちをぶつけて来られるから。今の時代の人たちに伝わるような言葉のあり方を探っていきたい。言葉を伝える相手をしっかり見て、言葉には鋭敏であらねばならないと思っている」

「駆け込み寺」という言葉がある。今はたとえとして使われており、本当にお寺に駆け込む人は少ないだろう。でもお寺は、というかお坊さんは、もともと歴史的に、そういう人の気持ちに寄り添う仕事をしていたのだと改めて気づいた。浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)という人もまた、鎌倉時代の人々の恐れや苦しみに向き合って、浄土真宗にたどり着いた。そこが「原点」なのだ。

現代では、マーケティング的に言えば、自分が悲しみや苦しみを抱えた時、相談相手として誰を想起するか?という質問に、「お寺」「お坊さん」を想起する人はほとんどいない。しかし、それはかつてはお寺やお坊さんの役目だったのである。もちろん、悩みや苦しみの形は800年前と今とでは変わっているし、そこにこそ耳を傾けていく必要がある。

そういえば「寺子屋」という言葉もある。今は一般的にはお寺に学びに行くというイメージはないが、江戸時代には、お寺はメンタルクリニックであり、学校であり、地域のコミュニティハブとして機能していた。僕がブランディングの仕事をするときは、ブランドが生まれた時点の存在理由や、これまで社会に提供してきた価値を踏まえながら、今の時代に合わせてアップデートした価値を創っていくのだが、このヒアリングを通して、お寺の「原点」と「現代」をつなぐ線が見えたような気がしたのだった。クリエイターの肩書きを持っていると、自分の中から生み出さなければいけないような気がする。だが取材やヒアリングをすることで、生の声に触れて見えることが必ずあるのだ。

次回は、駆け込み寺や寺子屋といった歴史を踏まえて、どのようにコンセプトワードに集約していったかを書こうと思います。

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