開高健が残した、“おためごかし”マーケティングへの指摘 ―60周年のサン・アドに見る、日本の広告クリエイティブの変遷(前篇)

サントリー宣伝部を母体として誕生したサン・アドが、今年の5月で60周年を迎えた。開高健、山口瞳、柳原良平、西村佳也、仲畑貴志、魚住勉といった名だたるクリエイターを輩出してきたサン・アド。その60年の歩みから、日本の広告クリエイティブ産業の変遷が見えてくるのではないか、との仮説のもと、同社・代表取締役社長の三好健二氏に話を聞いた。
※本記事は情報、メディア、コミュニケーション、ジャーナリズムについて学びたい人たちのために、おもに学部レベルの教育を2年間にわたって行う教育組織である、東京大学大学院情報学環教育部の有志と『宣伝会議』編集部が連携して実施する「宣伝会議学生記者」企画によって制作されたものです。企画・取材・執筆をすべて教育部の学生が自ら行っています。
※本記事の企画・取材・執筆は教育部修了生・黒田恭一が担当しました。

――サン・アドが設立された1964年当時の日本の広告業界はどのような状況にあったのでしょうか。

三好:取材の依頼を受け、社内の資料をあたり、設立当時のことを調べてみました。そしてサン・アドが設立された1964年に刊行された「TCC(東京コピーライターズクラブ)年鑑」の序文に、こんな言葉を見つけました。

当時のTCC会長だった上野壮夫さんが「毎日の広告のなかには、 たしかに新鮮で、ユニークで、人の心をゆるがす、すぐれたものがある。だが、その大部分は退屈で、手垢のついた、魅力のない、ありふれたもので占められていることも事実だ。」と書かれています。

当時はいざなぎ景気の真っただ中でしたので、おそらく日本の広告産業も活況だったのだと思います。興味深いのは、ここで上野さんが言われていることは現代の社会で広告に携わる私たちが抱えている課題と大きくは変わらないことです。

――開高健さんが、サン・アド「創立の言葉」を残しています。これを読むと、当時の広告業界に対するアンチテーゼのような表現が目立ちます。

三好:マーケティングブームに対する皮肉が感じられますよね。日本は、1955年からの約10年で、それまでアメリカが50年かけて構築したマーケティングの理論体系を一気にキャッチアップしようとしました。しかし本質を理解しておらず、ただマーケティング理論をふりかざして広告を語ることを多分開高は「おためごかし」と表現したのではないかと推察しています。

続きを読むには無料会員登録が必要です。

残り 1702 / 2205 文字

KAIGI IDにログインすると、すべての記事が無料で読み放題となります。

登録に必要な情報は簡単な5項目のみとなります

「AdverTimes. (アドタイ)」の記事はすべて無料です

会員登録により、興味に合った記事や情報をお届けします

この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

この記事を読んだ方におススメの記事

    タイアップ