「ベーコンと卵の朝食」を定着させたPRパーソン――ドリス・フライシュマン

女性の喫煙の推進、ベーコン業者や「バカラ」のPRも

写真 人物 個人 ドリス・フライシュマン

ドリス・フライシュマン(1891 – 1980)出所: Museum of Public Relations

ドリス・フライシュマンは、アメリカのジャーナリストであり、パブリック・リレーションズ(PR)業界の先駆者として知られています。

詳細は後述しますが、アメリカン・タバコ・カンパニーの「自由のトーチ」キャンペーン、ベーコン業者から依頼を受けての「ベーコンと卵の朝食」キャンペーン、Baccarat(バカラ)グラスの広報活動などの実績が有名です。

彼女は

エドワード・バーネイズ

のパートナーとして、彼のエージェンシーで活躍しました。

フライシュマンは1891年にニューヨークで生まれました。ニューヨーク市立大学バーナード校で教育を受けました。その後、

バーネイズ

の紹介でニューヨークの新聞社で記者としてのキャリアをスタートしました。彼女は女性の権利と社会正義の問題に関心を持ち、多くの記事を書きました。

1922年に

エドワード・バーネイズ

と結婚しましたが、フライシュマンは、女性に結婚後も名前を残すことを推奨する団体「ルーシー・ストーン・リーグ」のメンバーでもありました。

1925年、フライシュマンは

バーネイズ

と共にヨーロッパに旅行する際、米国務省から自分の旧姓である「Doris Fleischman」としてパスポートを発行されました。これは当時の女性にとって非常に珍しいことであり、結婚後も自分の名前を保持する権利を主張する、象徴的な出来事となりました(その後、彼女は考えを変え、名前を変え、ドリス・バーネイズとなりました)。

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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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