▶前篇はこちら。
ただ“面倒くさい”広告になってないか?
ここ数年、広告とコンテンツの境界が曖昧になってきた。
タイアップ動画、記事広告、ブランドムービー——。見た目はあたかもコンテンツだが、ユーザー視点では「長い」「回りくどい」「結局広告でしょ」という失望に変わっていないだろうか。
本当に人を動かすコンテンツとは、広告フォーマットにコンテンツの皮をかぶせたものではない。「人を夢中にさせる意思」を宿してこそ、初めて熱狂は生まれる。肝心なのは、「どうすれば正しく伝わるか」を悩むのではなく「これは誰かの時間を奪うに足るものか」と問うことだ。
届けたいメッセージの前に、届けたくなる世界観がつくれているか。コンテンツ風広告の「甘え」がブランドを曇らせる。その一歩を、ブランドがどれだけ真剣に踏み出せるかにかかっている。
コンテンツは体験を超え、文化の一部になっていく
今回、Spikes Asiaのエンターテインメント部門・ゲーミング部門・音楽部門で審査したいくつかの作品は、完全に「日常の中の存在」として根付いていた。楽曲として再生され、巨大音楽フェスで歌われたり、人格やアーティスト性を持ちながらデバイスの中に存在し、人の記憶に残る“感情の余白”まで抱えていたものもあった。
そうした作品では、誰かの趣味や、好きという気持ちの中に、企業が存在していた。それは、プロモーションの成功というよりも、文化との融合の結果だと感じた。
以上をふまえ、“広告が文化となる”ために意識したいポイントを挙げたい。
●ADVERTISEMENT DESIGN ⇔ CONTENTS DESIGN
日本から、もっと“遊び”が生まれるコンテンツを
前編でも言及したように、日本の広告はよく「課題」から始まる。しかしながら、キャラクターも、アニメも、ゲームも、本当は「課題」じゃなく、好奇心や遊び心から生まれたのではないだろうか。喫緊の課題を抱える国から届く、切実な表現たちを見たあとでも、「この国のコンテンツ力は、“軽やかさ”にこそある」と思う。
●ISSUE → CULTURE
課題ではなく文化から始まる
解決すべき問題があるから、ではなく、その時代に生きる“感覚”や“熱”から着想する。文化の呼吸に耳をすませたとき、企画はもっと自然に、人に届きはじめる。

