アジア最大級のクリエイティブの祭典、Spikes Asia 2025
Spikes Asiaとは、アジア太平洋地域における広告・クリエイティブ業界の卓越性を表彰するアワードフェスティバルだ。広告、デジタル、ブランド体験、エンタメといった領域における最先端のアイデアが一堂に集結し、優れたキャンペーンや作品に対してスパイク(スパイク=とがった発想、刺激的な表現)を称える賞が授与される。
2025年度は、20の国と地域から計2759点のエントリーがあり、うちエンターテインメント部門・ゲーミング部門・音楽部門について、7人の審査員で2日間にわたり審査をしていった。
「広告か否か」は問わない異種格闘戦
私がが審査員として担当したエンターテインメント部門・ゲーミング部門・音楽部門では、単なる“広告”を超え、エンタメやゲーム、音楽といったカルチャーの中に、いかにブランドを溶け込ませたかが評価される。それが広告か否かは問われない。体験や文脈の自然さ、ファンとの関係性なども評価軸となる“異種格闘戦”だ。
これらの幅が広すぎる部門の審査にあたったのは、日本からは私、香港から世界的音楽レーベルの責任者、シンガポールの大御所クリエイティブディレクター、オーストラリアからはキャラクター開発部門のスペシャリストなど、他の部門と比べてもかなり多様性に溢れるメンバーたち。
文化的背景も評価軸もバラバラな7人が、日々議論を重ねる。その中でも特に高い評価を獲得した作品は、言語を超え、文化を超え、感情に直接届く“コンテンツ力”を持った作品たちだった。
企業コンテンツが本物のムーブメントになる
審査の過程で、特に印象深かった2つの作品がある。内容と共に説明していきたい。
ひとつめは、音楽部門でグランプリを受賞したプロクター・アンド・ギャンブル/Old Spiceの「AIDAKHAR」だ。
舞台はカザフスタン。男性の「男らしさ」が文化的に重要視されてきたこの土地で、体臭や汗の匂いを防ぐデオドラントは、まだ一般的ではなかった。その中で消費者に商品をどう届けるか——Old Spiceは、音楽という手法を選んだ。
まだ社会で馴染みのないデオドラントを、“男らしさ”を象徴する著名人と共に、楽曲を制作して公開。そのキャッチーさから、YouTubeのMVだけでも2.6億回視聴を突破し、世界中に拡散された。ちなみにカザフスタンの人口は2000万人前後のため、いかにインパクトのある出来事であったかがうかがえる。現地の大規模な音楽フェスにおいても、オーディエンスから大合唱が起こるほどのムーブメントに繋がったそうだ。
審査中にその音楽フェスの映像を見たときに、“広告が文化と重なった瞬間”をたしかに感じた。企業の名を背負いながら、コンテンツとして熱狂を生む。それは、単なるプロモーションの域を明確に超えていた。まるでブランドがアーティストになったかのような熱狂を見て「音楽」のもつ力に感動した事例だった。
もうひとつは、韓国の現代(ヒョンデ)自動車が制作した、車載カメラの映像のみで構成された短編映画「Night Fishing」だ。本作はエンターテインメント部門でシルバーを獲得している。
車載カメラの映像のみを使用しているというだけでもユニークだが、さらに踏み込んだのは配信の形式だ。あえてオンラインではなく、映画館での有料公開に踏み切った。
人々はその映像を見るために、わざわざ映画館に足を運び、チケットを購入した、というわけだ。広告であることを超えて、「わざわざ行く価値のあるコンテンツ」として成立させたこのプロジェクトは、生活者と企業の関係性をアップデートする強度を持っていた。企業主導の広告コンテンツに対し、生活者がわざわざ映画館に足を運びお金を払う。プロモーションというより、鑑賞される作品だった。
「戦略って必要なんだろうか」
この2つの作品に出会ってから、頭に残っている言葉がある。審査中、とあるメンバーが何気なく口にしたひと言。
「この部門は、戦略って必要なんだろうか。」
もちろん、審査シートには「Strategy」の項目がある。ブランドとの関係性や、目的設計は不可欠だ。それでも、突き抜けた作品には、そうした設計を軽々と超える強さがあった。映画や音楽というエンタメ文化に乗っかる、というマーケティング的な発想だけでたどり着いたものではない。戦略の結果というより、そのコンテンツの力を信じてやりきった先にだけ現れる熱量だった。
「ターゲット」「インサイト」「KPI」、広告文脈では当たり前のこういった言葉も、この部門では時折、それらを補足する以上に、置き換えるべき指標の存在を感じた。
文化起点、感覚優位、拡張としてのコンテンツへ
日本の広告業界は、課題起点の設計に長けている。英国や米国由来の戦略モデルも、丁寧に咀嚼しながら取り入れてきた。ただ、この部門の審査を通して強く感じたのは、「課題ではなく、文化から始まる発想」の重要性だ。
社会課題が極端に切実な国々では、広告もまた、命のための機能を果たす。一方で、そうした切迫感が相対的に少ない日本では、もっと自由に、もっと大胆に、遊び心から世界へ飛び出す表現が可能なのではないか。
キャラクター、アニメ、ゲーム、ガジェット。日本はもともと、そうした「コンテンツ起点」の発明に長けている国だ。広告業界においても、課題ではなく“創造”から始まる企画がもっと増えてほしいと感じた。
【後編に続く】
