広報人としてのキャリア形成の難しさを払拭すべく、広報部のアイデンティティを確立させたい(コメ兵・田口玲子氏)

広報、マーケティングなどコミュニケーションビジネスの世界には多様な「専門の仕事」があります。人事異動も多い日本企業の場合、専門職としてのキャリアを積もうとした場合、自分なりのキャリアプランも必要とされます。現在、企業のなかで広報職として活躍する人たちは、どのように自分のキャリアプランを考えていたのでしょうか。横のつながりも多い広報の世界。本コラムではリレー形式で、「広報の仕事とキャリア」をテーマにバトンをつないでいただきます。STATION Aiの大谷 加玲さんからの紹介で今回登場するのは、コメ兵の田口玲子さんです。

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田口 玲子氏

コメ兵
広報部

國學院大學法学部卒業、出版社にて雑誌編集、広告代理店にてクロスメディアプロモーションのクリエイティブ・ディレクターを経て独立。イタリア料理店などの経営に10年ほど携わり、M&Aにて会社譲渡後、企業広報職へ。2023年よりコメ兵。

Q1:現在の仕事の内容とは?

コメ兵において、広報部を取りまとめて社内外に様々な情報を発信すること、また発信すべきでない情報を選り分け広まらないよう防波堤となること、ブランディングやコンセプトワークなどの『考え方』を身に着けるワークショップを開催すること、などが主な仕事です。

Q2:これまでの職歴は?

履歴書の職歴欄が足りないほど職歴があります…。実は、大学卒業後に就職したのは英会話学校。読書が趣味で、出版社に行きたかったのですが、就職氷河期で募集がありませんでした。大学の就職課の人は「とにかく受けろ!正社員の内定が出るまで受けろ!内定がでたらとりあえず行け!」しか言わなかったので、「就職って大変なんだな」と思っていました。が、振り返ればおかしな時代でした。

営業職として新卒で入社し、一年後、営業成績をそこそこ収めた自分に及第点をあげて転職。編集プロダクションで半年ほど修業をしたのち、フリーライターとなり、集英社にて専属記者に。「半年の修行で!?」と皆驚きますが、その半年は、一日23時間、掃除ロッカーで膝を抱えて仮眠をとりながら働き続けたので、通常の人の1年半くらいの濃度だったのではと思います。そこから眠らない仕事人生が始まりました。

その後、お声がかかりソフトバンク・パブリッシングにて雑誌編集者になり、インターネットやモバイル関係の雑誌を数冊創刊しました。一般の人が興味を持たないデジタル情報を面白みがある記事にするのに創意工夫をする日々で、この時の経験が私の仕事人生の礎になっていると思います。5年ほど勤務して退職し、一年半のカナダ留学を経て、電通とリクルートの合弁会社である、メディアシェイカーズという会社に入社。クロスメディアプロモーションの制作を5年強、務めました。最後はクリエイティブ・ディレクターでした。

この会社は、研修など社員育成に積極的で、宣伝会議の「コピーライター養成講座」などにも会社負担で(社内選考試験は受けましたが)通わせていただき、本当にいろいろ学ばせていただきました。とはいえ、ほぼ寝ないで働き続けた10余年でした。

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