AIによる映画製作の民主化の時代、クリエイターに求められることとは?【後編】

生成AIが映像制作の入口を広げ、「巨額の資金がなくても映画が作れる」時代が現実味を帯びてきた。一方で、AIが「コスト削減の道具」として消費されれば、現場の疲弊を招きかねないと、元NHKドラマプロデューサーでAI日本国際映画祭2025の企画・審査に携わった土屋勝裕氏は懸念を示す。制作スピードが生む“多作”の可能性、現場の多様性、そしてAI時代にこそ価値が高まる一次情報と「なぜ作るのか」という動機について論じた。AI日本国際映画祭2025の出品作品を総括した前編はこちら

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土屋勝裕氏

元NHKドラマプロデューサー。NHK在職中は、テレビドラマを中心に数多くの番組制作に携わり、企画・制作・編成まで幅広く担当。公共放送ならではの社会性とエンターテインメント性を両立した作品づくりに実績を持つ。独立後は映画・ドラマのプロデュースを手がけるとともに、映像制作の現場で培った知見を活かし、次世代の映像表現や国際的な映像文化交流にも関わる。現在、一般社団法人AI日本国際映画祭 理事として、上映プログラムおよび企画構成を担当。

巨額の資金不要、映画製作の民主化が起きた

2025年11月、日本で初めて生成AIを本格的に用いた作品のみを対象とした「AI日本国際映画祭2025」が開催されました。世界中から作品が集まり、AIを活用した映像表現が、実験段階を超え、一つの制作手法として急速に広がっていることを実感しました。

このAI映画祭で象徴的だったのは、他の映画祭のようにスター俳優やスター監督が不在だったことです。今回は第1回目の映画祭でしたから、それも当然と言えば当然なのですが、今までの映画製作など手の届かないところにあると思っていた人たちが、どんどん参入できることになるのがAI映画の世界だと思います。従来の映画製作に必要だった巨額な資金や、資金回収のため集客できるスター俳優やスター監督がなくても製作できる可能性が生まれていると言うことです。

もちろん、長編作品を生成AIで作ろうとすればAI利用の課金はそれなりの額になり、製作資金が必要なことは間違いないです。ただ、大人数のスタッフは必要なく一人で制作することも可能です。言ってみれば「映画製作の民主化」が起こるようなものです。主婦が余暇を使って映画を作ったり、引退したサラリーマンが孫を主人公にした映画を作ったりする時代が来るかもしれません。もちろん、鑑賞に堪えうる作品を作るのは簡単ではないですが、新しい才能やクリエイターが現れてくるのは間違いないと思います。

AIの真価はクリエイターの多作環境整備

進んでいくAI使用ですが、ひとつ大きな懸念は、生成AIを「安く作るための道具」とだけ捉えられてしまうことへの危機感です。かつては1億円かかっていた作品を、AIを使えば1000万円で制作できるといった文脈だけが強調されると、結果としてクリエイターが買い叩かれ、制作現場の人間は誰も儲からず、利益を得るのは配信プラットフォームとAIサービス提供会社だけ、という構造になりかねません。そうした状況は、業界全体を幸せにしないと思っています。

私自身は、AIの最大の価値は「安く作れること」ではなく、「制作時間を短縮できること」にあると考えています。たとえば、これまで一本の映画やシリーズを完成させるのに3年かかっていたとします。AIの導入によってそれが1年で完成できるようになれば、3年間で1作品ではなく、3作品を作ることができます。これは単に作品数が増えるという話ではありません。試行錯誤の回数が増え、ジャンルやテーマの幅が広がり、クリエイターが挑戦できる回数が増えるということです。

一発必中を求められる環境では、どうしても表現は保守的になります。制作スピードが上がれば、失敗を前提にした挑戦が可能になり、結果として作品の多様性が生まれやすくなります。この「打席数が増える」という感覚は、AI時代の創作における大きなポジティブ要因だと思います。

AIにより現場に多様性が生まれる

さらに重要なのは、制作スピードが上がり、案件数が増えることで、制作に関われる人の数を増やせる可能性がある点です。これまで映画やCMの制作現場では、「経験者でなければ参加できない」「フルタイムで現場に張り付ける人でなければ難しい」という構造がありました。その結果、参入できる人材は限られ、似た経歴や価値観を持つ作り手に偏りがちでした。

生成AIは、この構造を部分的に崩します。短期間で試作ができ、少人数でも一定水準のアウトプットが可能になることで、若手、地方在住者、兼業クリエイター、子育て中の作り手など、これまで現場にアクセスしにくかった人たちにも機会が生まれます。多様性とは、単に国籍や性別の話ではなく、どのような生活を送り、どのような現実を見てきた人が制作プロセスに参加できるか、という問題だと思います。

ただし、その前提として忘れてはならないのが、きちんと報酬が支払われることです。生成AIによって制作が効率化されると、「人が要らなくなる」「ギャラを下げられる」という発想に短絡しがちですが、それは長期的には産業を痩せ細らせます。誰でも参加できるが、誰も生活できない状況では、多様性は持続しません。AIによって生まれた時間や予算の余白を、人に再投資するという考え方が、今こそ必要だと思います。

AI時代には、生身の一次情報の価値が高まる

今後AIが人間の仕事をするようになっていく一方で、最後までAIにはできないことがあると思っています。AIが明確に限界を持つ領域。それは、インターネットには載っていない、生身の人間からしか得られない一次情報を集めることです。AIは、ネット上に存在する膨大な情報を学習源としており、AIが提示するのは常に「過去のネット情報の集大成」です。そこには、まだ言語化されていない現場の空気や、人との関係性の中でしか生まれない感情、言葉にならない違和感は含まれていません。今後、AIによって「誰でも一定水準の映像」を作れるようになればなるほど、逆説的に、一次情報に触れることで生み出される「作家」の価値は、これまで以上に高まっていくでしょう。

AIが生成した美しい映像は、やがて風景のように当たり前のものになります。AIがコモディティ化し、誰もが当たり前に使う時代が来れば、AI映画祭も役割を終えるのかもしれません。そのような時代に、最後に観客の心を動かすのは、技術の巧拙ではなく、生身の人間と向き合うことで育まれた思いや視点ではないでしょうか。

私自身、ドラマや映画で語りたい感情や出来事の多くは、自分自身の生身の経験に根ざしています。「こんな映像や物語を作りたい」という衝動は、取材を重ね、現場を歩き、人と出会い、その関係性の中から物語を掘り起こしてきた経験から生まれてきました。そうした一次情報に触れる力を持つクリエイターやドキュメンタリストこそが、AI時代における最大の強みを持つ存在になるはずです。広告や企業映像、CMなどでも、生な現実と向き合っていることが価値を持つようになるのではないかと思います(と書いては見たものの、将来、ロボットが取材に出かけて、人々と対話するようになったら、そうは言ってられないですが…)。

AIは映画制作の現場をどう変えていくのか

現在の日本のプロフェッショナルの制作現場でのAI使用について見てみると、実写作品では大勢のエキストラが必要となるモブシーンや、火や爆発などのCG制作にAIを使うサービスを提供する会社が生まれています。まだまだ俳優のお芝居をAIに置き換えるというところまでは進んでいません。アニメ業界では、AIの使用は急速に増えていくのではないかと思われます。

制作工程別にみると、背景の作成などはすでに生成AIが実装されつつあります。絵コンテや中割り、仕上げ(彩色)などでのAI使用も検証・導入準備が進んでいます。CMでは、プレビズの制作に生成AIが使用されて、そのクオリティが高すぎて、実際に撮影したものがプレビズよりも見劣りしてしまうというようなことがすでに起きているという話も聞きます。

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