「墓じまい」には、既存の社会構造の限界が凝縮されている【後編】

地域創生やSDGsが注目を集める中、新たに浮上してきたテーマが「縮充」です。近年、規模の縮小が進む中で、そこに新たな充実を見出す「縮充」の概念が注目されています。コラム「縮充研究所」の第2回は、地方自治体の喫緊の課題である「墓じまいと関係人口の流出」です。前編で墓じまいの本質を整理した。後編では、具体的な墓の縮充の実践結果について研究過程をレポートする。

墓じまいは、地縁の断絶なのか

私は、墓じまいそのものを否定したいわけではない。前章で見てきた通り、多くの墓じまいは、合理的で、誠実な判断の積み重ねの結果として選ばれている。問題は、墓を閉じるという行為そのものよりも、その過程で縁まで一緒に切れてしまう構造にある。

縮充の視点に立てば、問うべきは「墓を残すか、閉じるか」という二択ではない。重要なのは、関係者が納得できる状態へと至るために、どの要素を畳み、どの関係を残すのかという問いである。

墓石を維持し続けることは難しくても、遺骨を地域に留め、弔う場所を共有することはできるかもしれない。墓を「維持できるかどうか」という管理の問題として捉えるのではなく、 「先祖を通じた関係を、どのようなかたちで引き継ぐのか」という問いへと組み替えるとき、別の選択肢が立ち上がってくる。今回の海士町のケースで浮かび上がってきたのが、公営合葬墓という選択肢である。

公営の墓地は、宗派を問わず受け入れられ、個人や一家が単独で背負ってきた管理や継承の負担を軽減しながら、地域として弔いを引き受ける仕組みでもある。墓を「個人で背負うもの」から、「地域で支えるもの」へと捉え直す試みだと言える。

これは、墓を残すことと墓をやめることの中間にある、第三の選択肢でもある。墓石という“形”は畳みつつ、先祖を通じて地域とつながり続けるという“関係”は残す。墓じまいによって断ち切られがちだった地縁者の還流や、関係人口としてのつながりを、別のかたちで支え直す可能性を含んでいる。

図 墓参りでつなぐ関係人口

ただし、ここで重要なのは、公営合葬墓が万能薬ではないという点だ。地域の宗教観、歴史、家族観、そしてこれまでの弔いの慣習によって、その受け止め方は大きく異なる。ある地域では自然に受け入れられる選択肢が、別の地域では強い違和感を生むこともある。

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縮充研究所
前田陽汰(むじょう 代表/縮充研究所)

2000年東京都杉並区生まれ。公立中学校卒業後、釣りをするため島根県海士町の隠岐島前高校へ進学。 その後、慶應SFCに入学。海士町で過ごす中、右肩上がり一辺倒に限界を感じ、 右肩下がり(=縮退局面)のソフトランディングに関心をもつ。死・終わり・撤退・解散など、 タブー視されがちな変化にも優しい眼差しを向けられる社会を作るべく、株式会社むじょうを設立。 自宅葬専門葬儀ブランド「自宅葬のここ」や3日で消える追悼サイト「葬想式」の運営をはじめ、 「死んだ母の日展」や「棺桶写真館」企画展を通じて死との出会い方のリデザインを行っている。 著書に「地方留学生たちの三燈寮物語」「若者のための死の教科書」がある。

前田陽汰(むじょう 代表/縮充研究所)

2000年東京都杉並区生まれ。公立中学校卒業後、釣りをするため島根県海士町の隠岐島前高校へ進学。 その後、慶應SFCに入学。海士町で過ごす中、右肩上がり一辺倒に限界を感じ、 右肩下がり(=縮退局面)のソフトランディングに関心をもつ。死・終わり・撤退・解散など、 タブー視されがちな変化にも優しい眼差しを向けられる社会を作るべく、株式会社むじょうを設立。 自宅葬専門葬儀ブランド「自宅葬のここ」や3日で消える追悼サイト「葬想式」の運営をはじめ、 「死んだ母の日展」や「棺桶写真館」企画展を通じて死との出会い方のリデザインを行っている。 著書に「地方留学生たちの三燈寮物語」「若者のための死の教科書」がある。

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