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音楽コンクールの裏側 ― 失われる「良い」音楽 ―

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本記事では、宣伝会議「編集・ライター養成講座」43期修了生の辻村麻友子さんの卒業制作(2022年1月10日提出)を紹介します。

「クラシック音楽のコンクールは、始まる前からある程度結果が想像できてしまうことがあります」と、春から奈良教育大学で准教授を務める鈴木啓資氏は語る。「世界的なピアニストを何人も輩出しているような有名コンクールでさえ、そのようなことが起こり得ます」。内密にという前提で、同氏がこぼしたそのコンクールの名前に驚いた。いったいどういうことなのか。

鈴木 啓資(ピアニスト・指揮者・音楽博士)
東京音楽大学ピアノ演奏家コースを経て、リスト音楽院修士課程を首席修了。東京音楽大学大学院博士後期課程を2021年3月に修了し、博士号取得。甲斐清和高校、松伏高校、各音楽科非常勤講師。2022年度より奈良教育大学音楽教育講座准教授。リスト協会国際ピアノコンクール優勝の他、国内外のコンクールで受賞を重ねる。これまでにハンガリー、オーストリア、イタリア、オランダ、フィンランド、ドイツ、ポーランド、アメリカなどの各地で演奏。平成30年度島田市芸術文化奨励賞受賞。

クラシック音楽の世界では、コンクールでの入賞はアーティストにとってひとつの登竜門だ。音楽大学卒業というただそれだけでは音楽家として生計を立てていくのは簡単ではなく、コンクールの入賞で名を売ることが必要になる。

私たち一消費者も、新しいアーティストと出会うときに、コンクールの結果などは参考にしている。というのも、世の中に出ている全ての音楽を聞いて、好みのものを探すことなど到底できないため、「有名なコンクールで入賞しているのであれば、上手いのだろう、良い音楽が聞けるのだろう」と考えるからだ。

だが、その基準で出会った音楽は本当に「良い」音楽なのだろうか。

特にクラシック音楽界にとって、必ずしも「良い音楽だ」と言い切れない理由が二つある。一つは同音楽界で必ず必要な師弟関係が審査結果に影響しないとは言い難いため。もうひとつは、審査員が演奏者を見るとき、あるバイアスを通して見てしまうことが避けられないためだ。

師弟関係・派閥の思惑により揺らぐ審査結果

クラシックと、ポップスやロックは大きく異なる。音楽が、ではない。アーティスト活動をするうえでの違いだ。クラシック音楽の世界では、アーティストのほとんどは新しく曲を作るのではなく過去の作曲家の作品を演奏する演奏者であり、そして、どの演奏者にも必ず先生がいる。

鈴木氏がリスト音楽院の修士課程を修了する際に行った2時間に及ぶ演奏会。写真はAnima Musicae Chamber Orchestraと弾き振りで共演したもの。弾き振りとはピアノを弾きながら指揮をすること。ピアニスト、指揮者両方の役割が求められる。

音楽大学を受験する生徒の多くは、高等学校の頃から音楽大学の教授などの先生に付いている。基本的には地元のピアノ教室に通っていても、一定の頻度で教授などに指導をしてもらうのだ。そして晴れて入学となった暁には、大学で正式にその指導者の門下生となる。指導は複数の人に仰ぐことができる場合もあるものの、門下制を一度結んだら先生は簡単には変えられない。

この師弟関係こそが、コンクールの審査が波紋を呼ぶひとつの原因になっている。

音楽業界は芸能界に似ている、と鈴木氏は言う。どんなに実力があっても決して生き残れる世界ではなく、コンクールの入賞歴を獲得し、名前を売ったものが音楽活動だけで生計を立てることができるようになる。入賞という「実力証明」が必要なのだ。

しかし、それができるのはほんのひと握り。音楽之友社が発行する「音楽大学・学校案内」によると、大学卒業時点で、進学・留学を選択した27%を別とすれば、演奏関係の進路に就いた生徒はわずか5%のみである。演奏だけで生計を立てることがいかに厳しい道であるかということがよくわかる。

進学・留学の進路を選択した27%を除けば、演奏関係の進路についた生徒はわずか5%

ともなれば、音楽で生きるために入賞歴を「買う」人も当然出てくるはずだ。先生としても、門下生が入賞すれば、自身の評価や大学の評価にもつながる。

そのような人たちが、審査員や演奏者だった場合どうなるか。

「審査員のことを調べたとき、もしかして審査員と演奏者がつながっているのではないかと思わせるようなものがありました。学生間や演奏者間ではそのような話はほぼ出ません。音楽界においてこういった話はタブーですし、話を出せば叩かれるだけなので誰も口にしないのでしょう。しかし、自分の先生、もしくは自分の先生が口利きできる先生が審査員にいるコンクールばかり受ける人がいるという話を聞いたこともあります」

鈴木氏は、自身も複数のコンクールで入賞歴をもち、現在は演奏活動を行う傍ら、高等学校などで非常勤講師を務めている。リスト音楽院の修士課程を首席修了、東京音楽大学大学院の博士後期課程を修了し、この春からは奈良教育大学で准教授を務める。学生時代にいくつものコンクールにエントリーするうちに、このことに気づいたのだという。演奏者であれば気づくことができるであろうこの事実を、まるで禁句のように皆口にしないのを見て、おかしいとずっと思い続けているのだそうだ。

インタビューに答える鈴木氏

コンクールの審査員はそのコンクールの過去の入賞者をはじめとする音楽家により構成されることが多く、コンクールの知名度や権威が高ければ高いほど、世界的に著名な音楽家が審査員を務めている。しかしそのようなコンクールでも、審査員が不思議な点数をつけていることもある。

例えば、とあるコンクールでは演奏者に対して1点の評価をつけた審査員がいたようだ。しかし演奏者はそのコンクールで優勝。その辛口な審査員はおそらく、ほかの審査員が意図的に高い点数をつけていることを知っていて、それに反旗を翻すために1点としたとも考えられる。

他にも、コンクールの主催者側の意図が働く可能性も否定できない。なぜならば、コンクール入賞者に「史上最年少」「史上初」などという冠言葉がつけば、話題性が高くなり、そのコンクール自体の評価や知名度が上がるからだ。

筆者自身で調べてみたところ、前者の審査結果については音楽ファンの間でも波紋を呼んだようで、ネット上に情報が出ていた。第17回の、フレデリック・ショパン国際ピアノコンクールだ。

波紋を呼んだショパン国際の審査結果 辛口か、それとも抗議か

フレデリック・ショパン国際ピアノコンクールは、5年に一度開催される世界3大コンクールの一つで、受賞者には数多くの著名なピアニストが名を連ねている。特に今年開催された第18回コンクールでは、反田恭平氏と小林愛実氏が日本人としては16年ぶりに2位と4位に入賞。日本では同コンクールについて大きく報道されている。

第17回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール、ファイナルの審査結果。審査員名はイニシャルで示され、それぞれのファイナリストに何点をつけたかがわかる。優勝は最上段に記載のあるチョ・ソンジン氏。フィリップ・アントルモン氏(PE)は1点の評価。(赤枠は筆者追記)

同コンクールでは、第16回以降各審査員の採点が公表されるようになった。第17回の結果を見ると、フィリップ・アントルモン氏が、優勝したチョ・ソンジン氏に10点満点中1点の評価をつけている。他16人の審査員のほとんどが9点か10点の評価としているにも関わらずだ。この結果は音楽ファンのさまざまな憶測を呼んだ。

確かにアントルモン氏が裏で何かが動いていることを知っており、抗議するためだったという読み方もある。

全ての人がそのような評価をしているわけではないが、音楽コンクールの審査というものは、明確な得点基準があるわけではないためこのようなことも起きやすい。少なくとも師弟関係による不正を防ぐためにも、いくつかのコンクールでは弟子の評価をすることを禁止しているものもある。しかし果たしてどこまでそれに意味があるのだろう。

コンクールの順位に裏付けされたものが必ずしも「良い」音楽と言い切れない理由はもう一つある。

「聴衆賞というものが設定されているコンクールがあります。それはしばしば審査員が選んだ順位が高かった演奏者とは、異なる人が選ばれることがあります」

聴衆賞はファイナルの演奏を会場で聞いた聴衆が、どのファイナリストの演奏が良かったか投票するものである。この聴衆賞は、たびたび審査員が最も良い演奏者と判断した人物とは別の人物が選ばれることがある。

例えば、日本で3年に一度開催され、世界的にも権威のある浜松国際ピアノコンクールの聴衆賞結果を見てみよう。過去開催された10回のうち、聴衆賞が公開されているのは第7回以降の4回分だが、優勝者が同じく聴衆賞なのはうち2回で、もう2回は2位の演奏者が聴衆賞を獲得している。

音楽審査というものの性質上仕方ないことではあるが、その審査基準は非常に曖昧だ。数学などのテストのように明確に点数化できないからこそ、審査への不平等感も生まれやすい。

次ページ 「審査員に無意識下で働きかける肩書きバイアス」へ続く