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音楽コンクールの裏側 ― 失われる「良い」音楽 ―

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審査員に無意識下で働きかける肩書きバイアス

仮に審査員が「自分は公正な審査をする」と硬く意志を持っていても、自然と穿った評価になってしまうことがある。それが演奏者がもつ肩書きにより、無意識のうちにかかってしまうバイアスの存在だ。

一般的なクラシック音楽のコンクールは、何度かの予選のあと本選へと進む。2021年に前述のショパン国際ピアノコンクールで2位入賞となった反田氏は週刊朝日とのインタビューで、同コンクールの各予選で評価される面について語っている。一次予選では技術面、二次予選では芸術面、三次予選では将来面、ファイナルではその全てが評価されるとのこと。仮に本当にそのような審査基準だったとして、その各予選は本当に音楽面だけで評価されているのだろうか。

音楽はパフォーマンスだ。耳で聞いて、目で見て、誰が演奏しているのかわかっている状態で楽しむものだ。特にコンクールは採点競技だから、誰が演奏しているのかということは重視される。音楽そのものの評価の前に審査員にインプットされてしまう可能性のあるものといえば、例えばそれは指導者名やコンクール入賞歴などの肩書きであり、または所属事務所であり、すでに名の通っている音楽家であれば、その人名だ。

その肩書きを見ることや知ること自体が、審査基準に影響を与えてしまう。いくら純粋に音楽のみを評価しようとしても、肩書きを通して演奏者を見てしまうことは避けられない。バイアスというものは、無意識下でかかるものであり、私たちの脳で意識的に排除することは難しい。

音楽評価は肩書きバイアスの影響を受けている、ということを立証するために実証実験を行った。審査員には、目隠しをした状態と、目隠しをしない状態で生演奏されるピアノ曲を聞いてもらい、演奏に点数をつけてもらう。審査員はもちろん事前に演奏者の経歴を把握している。目隠しなしのときは誰が演奏者かわかっているため、音楽を専門としている人、且つ、よりその期間が長い演奏者の方が高得点となると予想される。一方で、目隠しありのときは、誰が演奏しているかわからないため、純粋に音楽のみの評価となると考えられる。

音楽評価における肩書バイアスに関する実証実験 詳細

【演奏者】
①ピアニスト ②音大大学院生 ③音大3年生 ④一般大学院生
 

【審査員】
音楽大学講師(演奏者2名の先生)、作曲家、音大大学院生(バイオリン専科)、作曲家門下生、一般 計12名
 

【曲目】
J.S.バッハ/インヴェンション第一番 BWV772
R.A.シューマン/『子供の情景』より「トロイメライ」
 

【審査方法】
・それぞれの曲は2回ずつ演奏される。審査員は目隠しありとなしで1回ずつ演奏を聞き、10点満点(小数点以下1桁)で演奏を評価し、演奏に対するコメントを記載。
・目隠しありの際、演奏者が男性か女性かを推測し記載。
・演奏者に門下生がいる場合は門下生の演奏を推測し記載。

演奏者、審査員ともにさまざまな属性を持つ人で構成している。特に演奏者は大学准教授となるピアニストの鈴木氏、音楽大学大学院科目等履修生、音楽大学3年生、音楽は趣味の一般大学院生と、異なる肩書きを持つ奏者を集めた。審査員は音楽大学の講師や、作曲家、音楽大学大学院生(バイオリン専科)と音楽を職業としている人のほかに、クラシック音楽を趣味で楽しんでいる一般参加者、クラシック音楽をほぼ聞かない一般参加者など12名。

実証実験の様子。演奏者によると、審査員が目隠しをしている状態のとき、審査員側が普段より演奏に集中して聞こうとしていると感じたという。

結果は以下の表に記載している。バイアスの影響は一定程度見られると考えて良いはずだ。

記載の数字は、各審査員がつけた点数のうち、最低点を1.00として計算しなおした数字だ。赤くハイライトした数字は各審査員の最低点、青くハイライトした数字は最高点。

比較のため各審査員の点数の最低点を1.00として算出しなおした実証実験結果。目隠しなしの場合は音楽経験が長い演奏者の方が高得点を獲得する傾向がある。しかし同じ曲でも目隠しありの場合は評価が異なっている様子がわかる。

目隠しなし、つまり演奏者が誰かわかっている場合は音楽経験が長い演奏者の方が高得点を獲得する傾向があることがわかる。また、その際に高得点を獲得していても、目隠しあり、つまり演奏者が誰かわからなくなると得点が下がっている場合もある。

例えば、2曲目の審査員Gの結果を見てみよう。目隠しありのときは鈴木氏に1.00の評価をつけているが、目隠しなしのときは1.27と、他3名よりも高い評価をつけている。2曲目に関しては、審査員A、I、Lも同様の結果だ。

もちろん、目隠しありの場合となしの場合では演奏順は変えているため、演奏順は審査結果には影響しない。

また曲目による審査結果の違いについても着目したい。

今回の課題曲は2曲とした。J.S.バッハ作曲の「インヴェンション第一番 BWV772」と、R.A.シューマン作曲の『子供の情景』より「トロイメライ」だ。

前者はピアノを習う生徒であれば、誰もが必ず一度は弾くと言われるほど基本的な技術的な練習曲。一方後者はピアノ曲としては有名であるが、前者とは違い表現力が問われる作品だ。技術と芸術性、それぞれが顕著に現れるような曲で、評価の違いが出るのかを検証した。

審査員12名による審査結果。審査員アンケートでは「肩書というより目からの情報により聴く人の様々な感覚が左右されていると感じた」「審査員が曲に思い入れがあるかどうかも評価に影響している」「普段は曲に重きを置いていて奏者は重視していなかったが、こうして比べて聞くと奏者による違いをはっきりと感じた」などの声があった。

その曲目の違いを踏まえて改めて結果を見てみると、演奏者が誰かわからない場合、審査員によって評価がかなり異なってしまっていることは変わりない。ただ、各演奏者が1.00を獲得した回数を基準に考えると、練習曲の方がより異なってしまっていると見ることもできるだろう。

コロナ禍を経て見える「良い」音楽の変化の兆し

実証実験を通してさらに興味深いことも分かった。

審査員として参加した音楽大学のピアノ科講師によると、「目隠しをしているときの方が、繊細な音まで拾えるようになり、メゾフォルテなどでもかなり大きく感じる。一方で、目隠しをしていないときは、さほど大きく感じない」とのこと。おそらくは、感覚がひとつ遮断されていることにより、他の感覚が敏感になっているのだろう。このことも、目隠しの有無による評価の違いに影響している可能性がある。

「YouTubeなどで配信している音楽家は、音量のある派手な演奏家の閲覧数が上がり、静かな音量の配信者の閲覧数は伸び悩む傾向がある。それは動画配信では目隠しをして気がつくような繊細な音は拾えないため仕方のないことなのだと、今回の実験を通して気がついた気がする」と、実験終了後に同講師から聞いた。

実証実験で演奏をする鈴木氏

コロナ禍を通して、音楽家たちのパフォーマンスも変わってきている。コンサートホールは密になると言われ、一時期は演奏会を実施することすらできなかった。仮に演奏会が開催できたとしても、客席数が半分では、ホール側に支払う料金を差し引くと、開催者の手元に残るものがなくなってしまうこともある。

それだけが理由ではないが、オンラインで演奏を配信する音楽家はコロナ前に比べて大幅に増えている。また、オーケストラや劇場が過去の演奏を無料配信する例もある。さらに、日本で開催されるコンクールで、過去に国際コンクール入賞者を多数輩出しているピティナ・ピアノコンペティションの特級部門では、2021年度からオンライン聴衆賞を設置した。

生で演奏を聞くことがなかなか叶わない今、オンラインで演奏会を聞くというスタイルは、消費者の生活に急激に普及し始めた。オンラインと会場では好まれる音楽の形も異なっている。消費者が「良い」と思う音楽の形さえも、変わってきている。

ブラインドコンクールはクラシック音楽界の次なる転換点となるか

クラシック音楽は昔はただの娯楽だった。それが商業になってから、このような世界になってしまったのではないか、と鈴木氏は少し残念そうだった。

クラシック音楽は、かつては教会や宮廷のための嗜みであり演奏者が作曲もすることが一般的で、ましてやチケット販売のような必要性は存在しなかった。しかし、時代が進むにつれて、演奏者と作曲家の分業化、それに伴い「音楽をマネジメントすることでビジネスにする」という考えが出てきた。となれば「売れる音楽」「話題性のある演奏者」が必要になる。

「もちろん音楽は娯楽であることは変わりようのない事実ですが、そこにビジネスという考え方が強く入ってきたことは、今のこの状態を作っているひとつの要因だと思います。演奏者側も競争社会で生き残るためにどうしたら良いのかとなった結果ではないかと、私は考えています」

演奏者が誰かわからない状態で評価するブラインドコンクールが実施されれば、審査に対する疑念も、肩書きに関するバイアスもなく、純粋に音楽の内容だけが評価されたコンクールとなる。だが、クラシック音楽業界ではまだそのようなコンクールが浸透している様子はない。

「いつかそのようなコンクールを自分でも開催したいと思います」と鈴木氏は語る。本当に開催される日が来れば、クラシック音楽業界にとってはきっと大きな転換点となるだろう。

サブスクリプション型音楽サービスが登場して以降、新しい音楽との出会い方は変わってきている。今や20~30代の10人に聞けば「音楽サービスのオススメから新しい音楽を知る」と答える人が半数以上だ。多忙な現代人にとって、端から端まで音楽を聞き漁って「良い」音楽に出会う時間などなかなか見つけられない。有限な時間の中で、本当に「良い」音楽と出会うために、コンクールでは少しでも公平な結果が出ることを祈るばかりだ。

辻村麻友子(つじむらまゆこ)

大学の文学部英米文学専攻を卒業後、総合商社に勤務。投資家向け広報であるIRを経験のち、現在は渉外系の仕事に従事。

この度は最優秀賞に選出いただき誠にありがとうございます。半年間通った講座の最後に賞をいただけたことは、ライター志望者としても、ひとりの社会人としても、大きな自信を持てる経験になりました。

インタビューと実証実験の二本立てで音楽評価のバイアスについて取材するという企画書を提出した際「本当にやれるの?」と講師の先生に質問されたことをよく覚えています。「やります」と答えましたが、不安がなかったとは言い切れません。

特に実証実験においては「実験をする」と書くのは簡単でも、実現させるのは簡単ではありませんでした。依頼書の作成、実験内容や質問・審査基準の検討、演奏者と審査員の声掛けはもちろん、会場確保や備品準備も必要です。空想を現実に変えるにはこんなにも労力がかかるのかと思ったものです。

その全てにご協力いただいたインタビュー相手でもある鈴木先生やスタッフの友人、そして1時間という長丁場の実験に参加してくださった演奏者や審査員の方々がいなければ、企画は実現しませんでした。この場を借りて改めて御礼を申し上げます。

また、インタビューを通して、ライターに必要なものは質問力と取捨選択力だと実感しました。限られた時間の中で何を質問するのか、どの話を深掘りすれば読者があっと思う事実を引き出せるかを常に考えながら、会話をコントロールする。決して簡単ではありませんが、この2つの力をいかに磨けるかというところにライターの醍醐味を感じます。

今回は、自分の得意分野で記事を書く課題だったからこそ受賞できたものです。最優秀賞受賞を糧にしつつ、決して驕ることなく謙虚にこれからも挑戦を続けていきます。