電機メーカーで働きながら「ソーシャル・リーマンズ」を結成
皆さん、初めまして。今回から4回限定で、僭越ですがコミュニケーションについてのコラムを連載させていただくことになりました監査法人トーマツ・地域未来創造室の山本啓一朗です。よろしくお願い致します。
なぜ、無名の私がコラム連載?…と考える方だらけだと思いますので、まずは自己紹介から始めますね。ちょっと長いですが、お付き合いください。
学生時代に1年休学して、ワーキングホリデーでオーストラリアを1年放浪した後、社会人になったのは1999年。システムエンジニアとして日本電気(以下、NEC)に入社しました。
配属先は、メディア業界を担当する事業部。配属されて初日の出社日は渋谷神南のお客さまオフィス。以来、20代はほとんど会社に立ち寄ることなくお客さまのもとへ毎日出社(いわゆる常駐)、時には中長期で滞在、という日々を送っていました。
当時、まだテレビはアナログ時代で、業界として「放送と通信の融合」を旗印にDX化を強烈に推し進める真っ只中、運よくNHKアーカイブス(番組名にもなっているのでご存じの方も多いかも)のシステム開発を貯蔵庫施設の建設から携わらせていただきました。
創設当時は、180万本の映像テープを保有する世界最大のアーカイブ施設で日本初・世界初を取り入れた大型システム開発だったこともあり、その後、お台場や汐留のデジタルアーカイブも手掛けさせていただきました。日本初のワンセグ配信…なんてこともやりましたが、そもそも“ワンセグ”が死語ですよね…。
さて気を取り直して…30代に入りSEから経営企画に社内転職しました。
経営企画部では中期経営計画や組織開発を通じてマネジメント層の改革を担当。当時、いわゆる大企業病を解決すべく「3,000人の対話集会」を企画、対話文化の醸成に向けて部門ファシリテーター制度を導入し養成プログラムを全事業部・コーポレート部門に展開。
右も左も分からない中、とにかく会社をより良くしたいと勝手に考え、とにかく色々なことを学び吸収したくて毎日のように社外活動(キーワードはダイアログ、ファシリテーション、フューチャーセンター)に繰り出していました。そこで出会った方々と設立したのが「ソーシャル・リーマンズ」という造語をつくり某紙でコラムを連載していた「かなりあ社中」です。