「iemo」の成功から広告が学べること——創業者の村田マリさんに聞きに行く

【前回のコラム「広告で世の中を動かすことが難しい時代に必要なこと——POOL小西利行さんに聞きに行く」はこちら

広告と事業の共通点を探る

須田:今回の「現代の平賀源内」は、僕がサイバーエージェントに在籍していた頃に部下だった村田マリさん、通称ムラマリ。2013年にムラマリが立ち上げた住まいやインテリアに特化したキュレーションプラットフォーム「iemo」が、今年10月にDeNAに買収され、大きな話題になった。

いまはDeNAの執行役員として、iemoの陣頭指揮をとる若き起業家です。事業を生み出し育てていくことは、広告コミュニケーションとは共通しないように思うけど、その過程にあるのはユーザーのニーズをつかみ、課題を解決するサービスを具体化していくこと。まさに、広告コミュニケーションのアイデアをカタチにしていく作業と通底することがあると思う。

ムラマリはiemoの前にも、ソーシャルゲームの会社を立ち上げてgumiに売却している。今日は対談を通じて、ムラマリがどうやって成功する事業の種を見つけ、具体化させる力を身につけたのかを探っていきたいと思います。まずはサイバーエージェント時代の話から始めようと思う。僕と出会ったのは、ムラマリが新卒で入社して2年目の頃だっけ?

村田:そうですね。須田さんと出会った頃の私は、働き過ぎの過労で倒れ、休職から戻ってきた直後。前の上司とそりが合わなかったこともあって、ヘソを曲げてひねくれていた(笑)。

会社から「今度の上司は、博報堂出身のクリエイティブ寄りの人で、絶対ムラマリと合うから戻っておいで」って言われて、「どれどれ」って半信半疑で出会ったのが須田さんだった。須田さんは当時35歳ぐらいで、営業出身の若い人が多い会社の中でも異色な存在。柔和なマネジメントをしてくれて、私の荒んだ心が癒えていった。一緒に仕事をするなかで、学んだこともとても多かった。須田さんは私のクリエイティブの母です。

須田:アイデアを一緒に考えるということに焦点を置いて、上司と部下という関係性をつくっていったね。でも、たくさん働いたよね?

村田:そうですね、もともといっぱい働くことに抵抗はなかった。須田さんの下にきて、なぜ働くのか、仕事は面白いという動機付けがもらえたんだと思います。特に、印象に残っているのが、今の「Ameba」のロゴへのリニューアルを須田さんが手掛けたことを横で見られたこと。Amebaというコンセプチュアルな考えを持ち込み、社員の向いている方向を一つにして、会社の推進力が増していくのを間近で見ることができた。

当時、このモチーフがサイバーエージェントに持ち込まれたのは本当に革命的だったと思う。同じ会社で、近くにいて同じものをみている人が、そういうアウトプットを出したことに、ものすごくリアリティを感じました。10年経った今も、誰もが分かるシンボルになっている。

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興味がある分野じゃないと鼻が利かない

須田: 久しぶりにムラマリと話していて、デジャブ的にいろいろと思い出してきた。ムラマリは世の中で、「このコンテンツが新しい!」とか「このサービスがいい!」とか、見つけたときにすごく興奮するよね。そして、それをなぜ今の時代に必要なのかロジカルに説明できる力を持っている。僕は毎回、その様子に感心していた。

興奮をロジカルに説明できる力が、シリアルアントレプレナーとして、複数回起業に成功している原動力ではないかと思う。いろんな背景や気持ちを持っているメンバーがいる中で、興奮が熱としてみんなにも伝わる。そして、ロジックで説明して、みんなを納得させられるのがムラマリの強みだよね。

村田:そうかもしれないです。起業には、ネタを見つけるアンテナだけでなく、着想したことを他の人に分かるように説明資料にしたり、組織をつくるために人材を採用したり、本来分けるべきさまざまな能力が一連で必要になる。それを一人で進めるためには「何としてもモノにしたい、カタチにしたい」という熱量が重要。確かに、私は昔から「パラノイア」と呼ばれてました。

須田:シリコンバレーでも、起業家はパラノイアで、クレイジーじゃないと生き残れないと言われている。前回のこのコラムでも、広告が大人しくなっているという話をした。ムラマリは人を巻き込む力もあるけれど、コーディングもできるし、イラストも描けるから、丸投げせずにディテールにものすごくこだわっていた。

村田:そうですね、私は「プロダクトをつくりたい」という思いが強く、表現者に近いんだと思う。今回のDeNAに買収されるときも、経営者であることを一部放棄していて、その条件を詰めるときも、「経理や人事などのバックオフィスは門外漢ですので、得意な方にお預けします。そこは親会社に任せるから、プロダクトつくることに私の工数を掛けたい」と伝えました。

自分がパラノイアとして没頭できる事業じゃないと成功できないと思う。いまのiemoでテーマにしている不動産やインテリアも大好きだし、その前の会社で起こしたゲームも展示会に行ってクリエイターのインタビューをずっと聞いているぐらいに好きだった。興味がある分野じゃないと、何が伸びるのか鼻が利かない。

須田:ムラマリがサイバーエージェントを辞めて、コントロールプラスという会社を立ち上げて、Webサイト制作の受託事業からソーシャルゲームに転身を図ったタイミングが抜群に良かったと思う。もし辞めた直後の2004年にゲームに参入していたら、まだ市場環境が整っていなくて、うまくいかなかったはず。マーケットを見る目というか、どうやって時代の風を読んでいるの?

村田:事業を立ち上げるときは、その「市場の大きさ」と、「その市場におけるパラダイムシフトなどの大きな変化のタイミングはいつくるのか」という2点を探っていると思います。コントロールプラスを創業した当初は、デートスポットに関するWebメディアを立ち上げたけど失敗した。デートスポットという検索ワードで1位になったけれど、そもそも検索クエリ数が少ない市場を若気のいたりで選んでしまった。

ソーシャルゲームで成功したのは、市場の大きさはもちろん、DeNAやGREEがオープンプラットフォーム化をしたタイミングで参入できたことが大きい。iemoの場合は、スマートフォンの普及が進み、不動産などの高価格帯の商品でも若い世代がスマートフォンで探し始めるだろうという読みがあった。それが当たり、不動産に関するコンテンツが足りないなかで始めたので、すぐにユーザーが付いてきて垂直立ち上げができた。

須田:市場の大きさと、その市場の変化を見抜くことが重要ということだね。

村田:ソーシャルゲームで成功したときに思ったのが、ちゃんとブームに当てに行くとその波の力によって、遠くまでいけること。波がきているときに事業を起こしても、乗り遅れてしまう。サーフボードを持って、沖に出て、波を待っていることが大切なんだと思う。アンテナのはり方はずっと模索していて、最近、時代と合ってきたというのが今回のiemoのスピード買収につながった。2年ぐらい前から照準を定め、事業を立ち上げるのがセオリーだと思っている。

須田:そのセオリーはムラマリに教えてもらっても、すぐにできるようになるものではない気がする。情報収集術を身に着けたからといってすぐに真似できるもの?

村田:誰にでも可能性はあると思う。なんで私の鼻が利くかというと、めちゃくちゃミーハーだからです。情報感度が高いというと高尚だけど、AKBが結成したばかりの頃に劇場に見に行ったり、新しいものが大好きなんですよ。ミーハーっていうと格好悪いけど、みんなが欲しいと思う同じ感覚が私にはある。

須田:ミーハーだと事業を成功に導けるようになるということ?

村田:その可能性が高くなる。情報感度という面では、私には2人のロールモデルがいる。一人は秋元康さん。おニャン子クラブやAKB48など、大衆が求めていることに天才的に鼻が利く人。もう一人は林真理子さん。林さんの著書を読むと、彼女もミーハーさが武器だと分かる。雑誌「anan」の連載を読んでいても、タレントやダイエットの話など、主婦が飛びつきそうなゴシップを扱う。大先生にもなってミーハーさを失わないのは、素直で素敵だなと思う。ミーハーはダサいかもしれないけれど、武器になるから私は常にミーハーでありたい。

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入社2年目で秋元康さんに直談判

須田:ミーハーさも持ち合わせているけれど、すぐに行動に起こせる力がすごい。みんな夢想はするけれど、アクションに移せる人は少ない。ムラマリのポジティブさや自分に対する強い自信はどこから来ているのだろうか。

村田:サイバーエージェントにいたときに須田さんの部下として、秋元康さんの担当をさせてもらったことが原体験として大きいと思う。私のなかで、「秋元康事件」と呼んでいる出来事がある。当時、秋元康さんに恋愛をテーマにしたメールマガジンをやってもらっていて、秋元事務所に原稿を取りに行ったり、直接やり取りをしたりする担当がいた。

秋元さんはもちろん大御所なので、当時入社2年目の私が担当できるはずもなく、ベテラン社員が担当していた。でも、私はそのベテラン社員が考えた企画がつまらないと思っていて、「私ならもっと面白くできる」という自信があった。ある時、須田さんと一緒に番組収録中の秋元さんに会いにフジテレビに行く機会があって、ものすごく悩んだんだけど「もうチャンスはここしかない!」って思って、須田さんの眼を盗んで、秋元さんに「私を担当にしてください」と直談判した。

「もし私が担当になったら、秋元さんの能力をもっと活かしたコンテンツをご提案できます。メールマガジンは一人が多数に呼びかけるラジオと似た形態。元々ラジオの構成作家だった秋元さんならば、ユーザーとコミュニケーションを取りながら、もっと面白い企画にできます。そして、私は秋元さんとめっちゃ仕事がしたい。ただ、私は社内で入社2年目なので、会社は絶対に許してくれない。上司の須田さんに秋元さんから頼んでもらえないですか?」と生意気ながら端的に伝えた。

そしたら、秋元さんが「むらっちゃん、面白いね、わかった」と言って名刺をくれた。そこに、秋元さんの携帯番号が書いてあった。次の日、お願いはしてみたものの、秋元さんが本当に担当変えてくれるかわかんないなあと心配になって、昼休み中に会社のトイレの前で秋元さんに電話をした。

「昨日お話した村田ですけど、本当にやりたいです!お願いします!」と伝えたら、「おう、わかった」とだけ言ってくれた。その電話の後に、自分の席に戻ったら、須田さんに呼ばれて、「いま秋元さんから電話があって、担当を村田に変えてほしいって言われたから、メールマガジンの担当、ムラマリね」って。覚えてないですか?

須田:まったく、覚えていない・・・。

村田:私、超覚えてますよ、原体験ですもん。そこで須田さんが、担当を変えてくれて、半年間、秋元康事務所と原稿のやり取りをして、週に一回秋元さんと電話で話せるチャンスを手に入れた。そこから得たインプットも財産だったけれど、そこで思ったのはきたチャンスをモノにしようとしたらできるということ。そして、それはアクションしない限りモノにできないということ。

チャンスの女神は前髪しかないということわざがある通り、前から来たときは捕まえられるけど、通り過ぎた後は後ろ髪が無いから捕まえられない。私は、秋元さんに売り込むという大それたことをしたけれど、それが失敗しなかった。多分、大御所は毎日のようにいろんなアイドルから大量に売り込みされているし、私が売り込んだことは1秒で忘れると思う。もし秋元さんからこの娘バカじゃないのって足蹴にされ、上司の須田さんに怒られたらどうしようと思ったけれど、そのチャンスを逃して一生後悔する方が嫌だった。

そして、自分が一世一代の勇気を振り絞って売り込んだら、そこから得たものがあまりにも大きかった。だから、今後の人生においては、どんなに恥をかこうと怒られようと、チャンスが来たら絶対にものにすると決めたんです。

須田:チャンスをつかもうとする思いが桁外れに大きい。ムラマリが成功している一番大きな要因はそこにあると思う。広告もチャンスに攻めるこのアグレッシブさが必要なのかもしれない。

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iemoの収益モデル

須田:iemoって、どういう事業モデル?

村田:iemoの事業モデルは二つあります。一つはキュレーション事業というまとめ記事。住まいやインテリアに関する情報を、キュレーターと呼ばれる人がまとめていくメディアとしての側面です。二つ目は、ビジネスアカウントと私たちが呼んでいるもの。企業が自分たちの商品やサービスに関する写真を無料で登録できて、ユーザーや企業がまとめ記事を作成できる。企業からすると、無償でPR活動ができるというメリットがある。

須田:マネタイズはどうするの?

村田:いま収入になっているのが、インテリアや不動産会社からの家好きな人をターゲットにしたネイティブ広告。来年には、マッチングサービスも開発していく。これは、ユーザーが「家がほしい」「リフォームしたい」などの具体的なニーズを登録すると適した企業を紹介するサービス。成約すると、企業からマージンをもらう。

いままでの不動産情報サイトは、資料請求ボタンが付いていて、チェックをつけて一斉に送信というモデルだけど、私たちは掲載料をとらずに、ユーザーがどういうジャンルの記事に興味を持つのかを分析し、アルゴリズムで成約させる。日本は海外に比べるとみんな同じような家に住んで、画一的になりがち。もっともっとユーザーのニーズを深く引出し、テクノロジーで一期一会をつくり、iemoで百者百様の暮らしを実現させていきたい。

須田:通常のアフィリエイト広告の場合、掲載料を積んだらその分、表示順位が上がるという仕組み。それとは異なる形態だね。ムラマリは広告のメニューを考えているだけでなく、その先の未来の生活も変えたいと思っている。そのスタンスが、広告のことだけを考えている人と違うね。

村田:私は、iemoで実現したい世界がある。iemoでは主婦に暮らしの情報を提供したいと思っていて、実際にユーザーの9割が女性。住まいって、毎日そこで寝泊りしているので、その人の人生に大きな影響を与えるもの。その人のニーズを深く察知してあげて必要な情報が提供できれば、その人を超えて、ひいては日本も変えられるんじゃないかと真面目に思っている。

須田:今日はムラマリに久しぶりに会えて本当に良かった。広告コミュニケーションがもっと人を惹きつけるためには、ムラマリのような熱量がほしい。最後に話してくれたように、こんなふうに世の中を変えたいというビジョンが大切なんだと改めて思いました。

(終わり)

村田 マリ
iemo株式会社 代表取締役CEO

早稲田大学卒業後、創業期のサイバーエージェントに入社。
2005年、コントロールプラス株式会社設立、代表取締役に就任。
以後9年間、受託制作事業・CGM事業・ソーシャルゲーム事業を展開。
うち2事業をソーシャルゲーム大手gumi社などへ売却。
2013年12月、iemo株式会社を設立し代表取締役に就任。


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須田伸(フェイスブック執行役員 マーケティング本部長)
須田伸(フェイスブック執行役員 マーケティング本部長)

1967年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1992年より博報堂制作局にてCMプランナー/コピーライターとして8年間勤務。ACC賞、日経広告賞、消費者のためになった広告コンクール金賞など受賞多数。1998年カンヌ国際広告祭ヤングクリエイティブコンペティションに日本代表コピーライターとして出場。2000年より2年間Yahoo!Japanに勤務し、初代Y Chat MCとして「インターネット市民集会 with 鳩山由起夫」など数多くのライブチャットイベントを企画実行。
2002年より2012年まで10年間、サイバーエージェントに勤務し、同社のブランドをアメーバに一新する。「サイバーエージェント/アメーバ」は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。
勤務のかたわら日経ビジネスオンラインにて「Web2.0(笑)の広告学」を連載。2012年4月よりFacebookJapanに勤務。
著書に『次世代広告進化論』『次世代広告テクノロジー』『時代はブログる!』など。

須田伸(フェイスブック執行役員 マーケティング本部長)

1967年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1992年より博報堂制作局にてCMプランナー/コピーライターとして8年間勤務。ACC賞、日経広告賞、消費者のためになった広告コンクール金賞など受賞多数。1998年カンヌ国際広告祭ヤングクリエイティブコンペティションに日本代表コピーライターとして出場。2000年より2年間Yahoo!Japanに勤務し、初代Y Chat MCとして「インターネット市民集会 with 鳩山由起夫」など数多くのライブチャットイベントを企画実行。
2002年より2012年まで10年間、サイバーエージェントに勤務し、同社のブランドをアメーバに一新する。「サイバーエージェント/アメーバ」は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。
勤務のかたわら日経ビジネスオンラインにて「Web2.0(笑)の広告学」を連載。2012年4月よりFacebookJapanに勤務。
著書に『次世代広告進化論』『次世代広告テクノロジー』『時代はブログる!』など。

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