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コラム

原田朋のCHIAT\DAY滞在記 ~リー・クロウの下で365日~

「フロンティア」という言葉の意味を、アップルが生まれた地で考えた。

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西海岸の日曜日。

目覚めて窓際のブラインド・カーテンを開けると、ロスは霧だった。どうりで薄暗いはずだ。きょうは日曜日。ロスに着いてから丸1カ月が過ぎ、ありがたいことに次々と仕事がふえたこともあって、先週は初めての完徹をした。

『森の屋』

『森の屋』にはこれからお世話になる気がする。

木曜の夜、翌日クリエイティブ・ディレクターに自信をもって見せられる企画がどうにもまとまらず、リトル・オーサカと呼ばれるソーテル通り沿いの一角に『森の屋』という居酒屋があり深夜までやっているというので、3時間以上居座って(お酒は飲まずだが、茄子の揚げたのとか、ハコ寿司とか、もはや涙がでるほど懐かしく感じた)どうにかこうにか企画をまとめた。僕らのとなりでは音楽関係の人たちが、日本語で熱く議論を交わしていた。新しい音楽はあるのか?音楽を売るということは?僕たち日本人はまじめだ。眠気をがまんしつつ、静まりかえった深夜のロスをクルマで走り抜けて家に帰り、日本語でまとめた企画を英語の書類に仕上げると朝だった。

ワシントン通り

ワシントン通りの先端は太平洋。

幸いなことに企画の発表はうまくいったが、金曜日のことはよく覚えていない。どうやら、英語にするというプロセスをふむので、エネルギーを二倍消費しているようだ。土曜は昼過ぎまで寝て、掃除と洗濯をして、オーガニック食品のホールフーズ・マーケットに買い物にいったらもう夜。これまた日本のビールを買ってきて飲んで寝て…そんな日曜日。霧も晴れてきたので、iPhoneひとつ持って散歩することにした。

家の前のワシントン通りを歩くと、5分でビーチに到達する。サーファーや水着の人たちを横目で見ながら、そのまままっすぐ伸びた桟橋の先端まで歩く。目前にひろがる太平洋を眺めながら、ぼんやり考えた。その昔、アメリカ東部からやってきた開拓者たちは、初めてこの海岸にたどりついたとき、何を思ったのだろうかと。

「フロンティア」は消えたのか。

「フロンティア」という言葉がある。「国境」とか「辺境」と訳されるが、アメリカでは開拓時代の開拓最前線をさす言葉だった。初期アメリカの歴史は、東海岸から西へ向かってフロンティアを拡大する歴史だったと言える。開拓者たちは、西へ西へ、フロンティアという境界線の向こうへと越えていく。そういう意味では、ここカリフォルニアは、フロンティアのはるか向こうにある、みんながめざした、楽園みたいなものだったのかもしれない。そういえばアメリカの広告業界を描いたドラマ『マッドメン』が僕は好きだが、劇中でもロスは、東部の主人公にとって、なんだか現実離れした別天地みたいな描かれ方していたな。西海岸はそういうイメージなのだろうか。

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だんだん気温が上がってきたのを感じる。日本はどうですか?

西海岸に到達し、そしていまの全土がアメリカになったことで、フロンティアは消滅した。でも海の向こうを見ていると、アメリカという国は、地図の上になくなったフロンティアをずっと求めつづけている国なんじゃないかと思えてくる。たとえばデジタルの世界に、そして新しいビジネスの世界に。常に目に見えないフロンティアを見出し、それを越えて行こうとするスピリット。ここカリフォルニアには、新しいデジタル世界への前線基地であるシリコンバレーがあり、人類の新しい感覚を切り拓いてきたアップルもここで生まれた。彼らはカリフォルニアから、目に見えないフロンティアを越えていこうとしているのかもしれない。

広告クリエイターの「フロンティア」。

開拓者たちは、もちろん、西海岸にすぐにたどり着けたわけではない。何世代もかけて開拓して行った。いわば、フロンティア・スピリットのリレーだ。考えてみれば、科学の世界もそう。前の世代が開拓した業績の先に、新しい発見がある。科学は永遠のリレーだ。前の世代が越えたフロンティアの、その先のフロンティアを越えて向こうを見たい、そんなスピリットが、綿々と続く科学の営みの原動力だ。地球の外にある宇宙空間や、逆にミクロの世界の細胞たちが僕たちをドキドキさせるのは、地上がすべてグーグルアースで見渡せて、地図の上にフロンティアがもうない時代だからかもしれない。僕たち人類は、やっぱり未知のフロンティアを求めている。

広告の世界は、どこまでフロンティアを越えたのだろうか。広告クリエイターの先人たちが開拓してきた歴史の先に、2013年の僕たちはいる。素晴らしい広告作品の歴史の先に、広告表現はもうやりつくされたという人もいる。だから今こそ表現の外に出るべきなのだと言う人もいる。カンヌ広告祭は、フェスティバル・オブ・クリエイティビティと名前を変えた。

5-4

今回のコラムは休日モードでお届けしました。

開拓者たちは、フロンティアを越えるときに、ドキドキワクワクしただろう。だって、その向こうの未知の世界には死が待っているかもしれないのだから。歴史の中では、きれいごとで済まされないことも起きた。僕はどうだろう。目の前の広告と格闘して毎日もがいている自分の心に、フロンティアはあるだろうか。一つ言えることは、どんな領域でも、年齢に関係なく、いつでもいつまでもワクワクしているのは、フロンティアを越えようとしている人だと言うことだ。受け手をワクワクさせるのが使命である広告の作り手にとって、自身がワクワクしていることこそ、大事なことはない。41歳になったばかりの僕にそんな風に思わせてくれる、カリフォルニアの日曜。きょうは、アボット・キニー通りのインテリゲンチャ・コーヒーに行こう。明日からまた忙しい。