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コラム

New York、酒と泪と男とアートディレクション

「仏壇」広告からビヨンセのアートワークへの道(2)

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【前回のコラム「「仏壇」広告からビヨンセのアートワークへの道」はこちら

憧れのCDから学んだ、自分だけの強みを持つ重要性

スターチームで自分の不甲斐なさを実感

運が良かったのか、人に恵まれているのか、その後私は広告代理店フロンテッジ(旧インタービジョン)に就職する事が出来た。当時400人規模のフロンテッジの職場はバラ色だった。3名のデザイナーしかいなかった会社から、第1~第3制作部まである環境で、グラフィックからテレビCMまで華やかな、ザ!広告代理店!だった。

98年、在籍するフロンテッジのスタークリエイター・田中英生CDが担当した、ソニーの「Red Hotキャンペーン」。世界的アーティスト・ローリン・ヒルを起用して話題を呼んだ。

そしてそこには私の憧れのCDがいたのだ。田中英生CD。当時ソニーのRed Hotキャンペーンでローリン・ヒルを起用してMusic VideoのようなかっちょいいCMを作った田中CD。初めて挨拶した時はサインをもらいたい位だったが、ロン毛にヒゲ、革ジャン皮パン、チェーンジャラジャラのいかつい風貌でそれはすぐにあきらめた。

それでも田中CDと仕事が出来るかも?とウキウキしていたのだが現実はそんなに甘くなく、私が入ったのは婦人向け通販カタログチーム(涙)。同じフロアでキラキラ光って見える田中チームをよそに、私は数百ページのカタログページを作り続けていた。それでもカタログはカタログでとても学ぶ事が多かった。初めての撮影の立ち会いで、先輩方の一日で撮るカット数の膨大さ、オーガナイズ力はとても勉強になった。

ある日スターチーム田中CDが、とある競合プレゼンに私を参加させてくれた。ターゲットが私の年齢であるという事と、お試し使用といった感じだったのだろう。意気込みだけはあったけど、全く役に立たず、ミーティングで意見も言えない私は自分自身にがっかりした。それ以上に田中CDにがっかりされるのが嫌だった。始めての大きなプロジェクトで何をしていいのかも分からないし、自分の力のなさを情けなく思う日々だった。

「スピード力」が大きな武器に

たいして使えない私に、先輩が言ってくれたのが「手が早い」だった。ろくなアイデアも出せない私が唯一役に立てたのが、フォトショとイラレのスピードだけだったのだ。ミーティング後のラフレをカンプにする作業だけは頑張った。これが今の自分の売りになると思ったし、これしかなかった。これ以外はいつも田中CDのダメ出しでへこむ毎日だったのだ。

そんなある日、ミーティングが終わった朝3時頃、会議室のオニギリを片付けていたら、いつもぶっきらぼうな田中CDが「残りのオニギリは持って帰っていいよ、中鉢もがんばったっぽいしな」と言ってくれた。そんなーーー!ぶっきらぼうな田中CDに初めて褒められた!と大喜びした事を今でも忘れられない。

私は当時から常に凡人で、人10倍時間をかけないと追いつけない。どれもこなそうと思うと全てが平均点以下。不器用なのだ。だから、ひとつ取り柄を見つけた私は、そこを伸ばそうと努力し、そこをアピールしていた。マルチにクオリティを求められる事が多いけど、そんなの凡人には無理無理。なにかひとつ、これだけは人に負けない!って自分の強みを持つ事が大切だ、と学んだ。今の私にとってそれが何かって、自分で言うのはこっぱずかしいけど、きっとそれは10年ニューヨークで色々なアーティストと仕事をし、アーティストの音とビジュアルをサポートする事だといえるのではないだろうか。

そもそも私はいわゆるアーティストではない。自分で好きな物を作って、それを買ってくれる人がいて生計を立てているわけではない。私は依頼主(クライアント)がいて、それをアートの力で『人』に伝える商業デザイナーなのだ。

そんな商業デザインの現場で、夢のニューヨークへ旅立つまでの短い間、本当に鍛えられた。あの日本での経験があったからこそ、今もニューヨークでやっていけている。

日本と全く違う環境で、また一からやりなおしをするお話はまた次回。


※次回更新は1月8日(水)の予定です