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コラム

脳のなかの金魚

じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく

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高1の夏。N君が死んだ。ガスの元栓につないだホースをくわえて。彼は、僕たちのバンドのヴォーカルで、ロバート・プラントばりというわけにはさすがにいかなかったけれど、ポール・ロジャースばりでは明らかにあった。ものすごく人気があって、女のコたちにはもちろん、同じくらい男子からも。この両立は実は、なかなか難易度高い。でも、そうじゃないと、スター、ましてやカリスマにはなれない。ま、1970年代の渋谷区港区の一部地域だけのカリスマだけどね。N君は、かっこよかったのはもちろんだけど、なにしろアタマがよかった。ついでに学校の成績もかなりよかった。

高校生男子にとって、いちばん重要なこと、つまりモテるために必要なのは、ルックス、スポーツ、バンド。以上終わり。なのであって、つまり、モテの道はかなり限定されていた。想像するに、今もそうだろう。これが、大学生になると、将来性だの、家が金持ちだの、いいクルマ乗ってるだの、エスコート上手社交上手だの、まめまめしいなどが闖入してくる。比べると、高校生の頃の完璧に皮相的なモテ方の方が、いっそすがすがしい。

 遺書には、ただひとこと。
 「やめた!」

かっこいい、と言っていいんだろうか。とにかく、ともだち一同、まいりました。悲しいとか、悔しいとか、寂しいとかより、みんながまず思ったのは、「やられた」という感じ。先を超されたというのも妙だが、なにか、それに近い感じ。青春的な狭苦しい鬱屈した不確かな気分を思い出すと、N君の行為は、やはり、“超越的な何か”だった。

訃報から1週間近く経っていたと思う。新聞の社会面の片隅に、小さな記事を見つけた。

 高一男子ガス自殺。
 テストの成績苦にノイローゼに。

あれ。どうして。
仲間たちは、その朝、同じ疑念を持つことになった。ちなみに、当時は、バンドやってる男子高校生といえども、自宅通学であり、しかも毎朝新聞を読んでいたのである。

ああいうヤツのああいう遺書を残したああいう自殺だから、ほんとのことは誰にもわからない。もしかすると本人にさえ。ただ、期末テストの成績は絶対自殺の原因ではない。なぜなら、彼は、全学年中3番だったから。1番じゃなかったからという解釈も無理がある。僕たちが見る限り、彼が勉強に充てていたのは、バンドの練習やガールフレンドと過ごす時間に比べて、3分の1か4分の1くらい。高校1年最初の期末試験に勝負かける必然性も実態もない。だいいち学校の成績なんかどうでもよかったはずだ。

彼は絶対にノイローゼなんかではなかった。ましてや「成績を苦にしたノイローゼ」なんていう安いもんとは200%無縁の奴だ。もちろんあれだけのカリスマだから、僕たち凡庸な高校生から見ると、集中してる時の圧倒感は異常だったけれど。だが、彼が死を選んだ理由は絶対そんなもんじゃない。それくらいわかるよ。ずっと一緒だったんだから。

どうしてこんな記事になるのだろう。しかも、ガス自殺のところは正確なのが余計不思議だった。この事件から、僕たちは、ふたつのことを学習した。

「マスメディアは、つねに本当のことを書くわけではない」ということと、
「ヒトはいとも簡単に“おかしな人”にされる。なぜなら他人に“おかしな人”のレッテルを貼るとヒトは安心するから」ということである。

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