コラム

脳のなかの金魚

日本に八百万(やおよろず)の神がいることの幸福について

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世界一知的でグラマラスな、クリエーティブの教養コラム。古川裕也氏、初の著作『すべての仕事はクリエイティブディレクションである。』(宣伝会議刊)を記念し、前回好評だったコラム「脳のなかの金魚」が全6回で復活。これまで出会ったさまざまな名作映画、音楽、小説を手がかりに、広告クリエーティブの仕組みや考え方をつづっていきます。

今年2月。
『バードマン』イヤーだった米アカデミー賞で、印象的なスピーチがふたつあった。
ひとつは、助演女優賞のパトリシア・アークエット。ハリウッドにおける男女賃金格差の是正をストレートに訴えた。それに対して、メリル・ストリープとジェニファー・ロペスが熱狂的に拍手を送る様子が世界中にオンエアされた。ハリウッドのようなところで、男女間の賃金格差が問題になっていることが、少し意外だった。

もうひとつは、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』で、脚色賞を獲得したグレアム・ムーアのスピーチ。映画は、第二次世界大戦中、ナチスの暗号エニグマを解読、連合国側の勝利に大きく貢献して戦争終結を早めたと言われるイギリスの数学者・アラン・チューリングの生涯を描いている。暗号解読のプロセスでコンピューティングの原理を発見したことでも知られているが、彼は、ホモ・セクシャルであることも含め、自分が他の人とちがうことをずっと悩んでいた。

グレアム・ムーアは関係者に謝辞を述べた後、次のようなスピーチをした。
「16才の時、僕は自殺を図りました。自分の居場所がどこにもないような気がして。けれど、そんな僕が今日ここに立っています。だから、僕はこの場を、自分の居場所がないと感じている若者たちに捧げたい。あなたには居場所があります。どうか変わった(weird)ままで、他の人とちがう(different)ままでいてください。そのままの自分で大丈夫。輝く時が来る。そしていつかあなたがこの場所に立った時に、同じメッセージを伝えてあげてください。」このスピーチは、今年のオスカーで最も感動的だったと、ネット上でも賑わっていた。

それからおよそ4カ月後。
今度はニューヨークで、トニー賞授賞式が行なわれた。『王様と私』でケン・ワタナベがミュージカル部門主演男優賞にノミネートされたので、見た方も多いだろう。そこで、演劇部門主演男優賞を受賞したアレックス・シャープがスピーチをした。受賞作、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(“The curious incident of the dog in the night-time”)は、くしくも、クリストファーという天才数学者が主役の芝居である。彼は、スピーチの最後を、次のように締めくくった。
「この作品の主人公の若者は、ふつうの人とはちがっていて誤解されてしまうことが多い。同じように悩む若者にこの賞を捧げます。」
偶然か。それとも、何かアメリカの現状を反映しているのか。

6月中旬、カンヌライオンズ。
今年Glass Lionというカテゴリーが新設された。「性差別撤廃に貢献した仕事に与えられる」と、規定されている。
「すべてcreativityという観点から見る」というカンヌライオンズの本質から考えて、個人的には賛成しかねるカテゴリーだった。カテゴリーは、イッシューで創るべきではない。テーマがsocially goodかどうかは判断基準にすべきではなく、あくまでアイデアとその結果を競い合うべきだ、と思うのがその理由だ。「正しいけどつまんない」ものが今年の受賞作に多かったのは、このあたりが原因だと思われる。

不幸中の幸いは、審査委員長・シンディ・ギャロップが、「このカテゴリーは、なくなることが目的だ」ときっぱり宣言してくれたこと。さすが、ニューヨークの女王と言われるだけのことはある。

そうこうしているうちに8月。
ファレル・ウイリアムスの新曲がアップされた。彼は、いつも、その時どんぴしゃの大きな概念を見つけるのが上手で、まるで優秀なクリエーティブ・ディレクターみたいだ。というか優秀なクリエーティブ・ディレクターなんだが、“Lucky” “Happy”と来て、油断してたら今回いきなり“Freedom”である。曲もクリップもいわゆるプロテスト・ソング的。正直意外だった。

1969年8月、ウッドストックの記念すべきヘッドライナーは当時全く無名のリッチー・ヘヴンスだった。持ち歌が少なかったらしく、ゴスペルの名曲“Sometime I feel like a motherless child”をモチーフに、アドリブで一曲歌った。それが、結果彼の代表作となる“Freedom”。キング牧師の“I have a dream”が1963年8月、ほんの6年前。ヴェトナム戦争終盤の最悪の状況などを考えれば、ゴスペル出身の黒人シンガー・ソングライターが、アドリブで”Freedom”とシャウトするのはむしろ必然と思える。

けれど、2015年8月に、ファレルが、“Freedom”と叫ばなければならない“感じ”がアメリカのみならず世界的にあるのだろうか。不寛容で窮屈な“感じ”が、共有物としてそんなにもあるのだろうか。ほんとわからないので、教えてほしいのだ。

次ページ 「ふつうの日本人の感覚からすると」へ続く

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