【前回コラム】「2015年にブレイク? CMに起用したい注目の“タレントの卵”たち」はこちら
“愛人にしたい女No.1”のキャッチフレーズでブレイク中の橋本マナミさん。30歳にしてブレイクに至る過程には、どのような苦労があったのか。「中学生の時からこんな雰囲気だった」と話す彼女の素顔とは。
足立:
ブレイクのきっかけは写真集ですか。
橋本:
そうですね。昨年の5月に10年ぶりに出しまして、それからたくさんお仕事をいただくようになりました。
足立:
グラビアは一度辞められているんですよね。
橋本:
数年前に、14年間所属していた事務所も辞めて、実家のある山形に戻りました。でも、タレントとしての夢をあきらめきれずに、もう一度上京して、いまの事務所に入ったんです。最初はお仕事がなかったので、ひたすら出版社への挨拶回りをしていました。
足立:
グラビアを辞めたのはなぜだったんですか。
橋本:
16歳から22歳までグラビアをやっていたのですが、その時は好きじゃなかったんです。自分から発信するというよりも、何というか、やらされているという感じがしていて…。そもそも、“太陽の下で元気に”みたいなのがあまり得意ではなかったし、自分をどう表現して良いのか分からず、葛藤がありました。それがグラビアの写真にも表れていたんだと思います。
足立:
なるほど。
橋本:
女優もやっていたんですけど、その先のビジョンが見えなくて。当時は大きい事務所で、生活も安定していましたけど、人生を後悔したくなかったから、全部捨てて1からやり直そうと思いました。両親も友人も大反対でしたけど、辞めてからは自由になった気がしましたね。
