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コラム

電通デザイントーク中継シリーズ

平野啓一郎×田川欣哉「ユーザーを『分人』と捉えてデザインする」

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【前回記事】MIKIKO×真鍋大度×菅野 薫「身体×テクノロジーで生み出す演出の最前線」はこちら

小説家の平野啓一郎氏が近年唱えてきた「分人主義」は、人間は一つの人格だけを生きているのではなく、対人関係ごとに異なる人格を持ち、その集合体として生きているという考え方だ。一方、田川欣哉氏率いるデザインエンジアリングファーム「takram」は、「デザイン」と「エンジニアリング」という2つの手法を一人の人間が切り替え、組み合わせながら開発する方法論を採っている。根底の視座に共通点を持つ2人が語る、これからのデザインとは。

デザインとエンジニアリングに境界はない

田川:takramはデザインエンジニアリングの会社です。デザイナーとエンジニアがチームを組むのは珍しくありませんが、takramにいるのは、エンジニアリングの経験を積んでからデザインの世界に入ってきた人、つまり一人の中に2つのスキルが同居した人たちです。彼らを「デザインエンジニア」と呼んでいます。

個人としても、会社としても、プロダクトからユーザーインターフェース、サービスデザインからコンセプトに近いところまで、色々なところに介入しつつ、一つの領域にははまり込まない形を目指してやっています。

最近の仕事を紹介しましょう。フランスで展示した「Taste of Light」は、もしも未来に人間が光を味覚として感じるためのデバイスが存在するとしたら、という想像からデザインしたものです。

六本木ミッドタウンの「活動のデザイン展」に出展した「Shenu」は、100年後の地球環境がテーマ。核汚染で飲料水が激減した未来の世界で、人が水を必要としない身体に疑似進化するという設定で、5つの臓器を考えて展示しました。

このほかにも、Eテレの子ども向け科学番組「ミミクリーズ」のアートディレクションなどもしています。

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平野:僕自身、人間が火星に行って戻ってくるまでの閉鎖空間の中で、どう水を確保するかをという問題を「ドーン」という小説の中で書いたことがあるのですが、膀胱を取り換えるところまでは思いつかなかったな(笑)。

takramの中で、こういうアート的なものはどう位置づけられているんですか。デザインの仕事とは分けて考えているんでしょうか。

田川:一人の人間の中で、プロジェクトによってアーティスト的なマインドで臨んでいたり、デザイン的なマインドで臨んでいたり、場面場面で切り替えている感じです。

平野:takramでは、デザインとエンジニアリングの両方できないと、働くのは難しいんですか。

田川:デザインもエンジニアリングも、特に先端の領域に入れば入るほど境はあいまいです。そもそもきれいな分岐点があるわけじゃない。例えばデスクの脚の設計をするとき、エンジニアは強度の観点から見て、デザイナーは形の美しさやバランスを見る。両者の言語は違いますが、扱っているパラメーターは実は同じだったりします。

エンジニアでもデザインの経験を積めば、勘のいい人なら3年くらいでデザイナー視点とエンジニア視点が併存するようになる。融合ということではなく、2つの視点の間で振り子を振るようなイメージです。

次ページ 「人工物と人間の接着面には何がある?」へ続く