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コラム

電通デザイントーク中継シリーズ

平野啓一郎×田川欣哉「ユーザーを『分人』と捉えてデザインする」

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ユーザーを「分人」化して考えてみると

平野:「分人」という概念を、僕は「個人」に対立する概念として使っています。一つの個性を持った分割不可能な最小単位が個人であるという概念に対し、分人は対人関係ごとや場所ごとに、色々な人格を持っている。

人格というものを、外界とのコミュニケーションのパターンのようなものと捉えて、複数の分人が自分の中で共有され、中心を持たずにネットワーク化されているイメージです。

近代の社会システムは、個人が一貫性を持っている前提でデザインされています。人は一貫性を持たなければならないという観念はそこから生まれ、そうでない自分への悩みが生じているんです。

田川:生物としてのエネルギー収支という観点から見れば、人間は皮膚によって外界と遮断された個人です。分人としてご飯を食べることは、ありませんからね。

けれども、ネット上では距離や時間を超えて、分人が自由に飛び出せる環境になっている。それが原因で、思考と身体の感覚は乖離を起こしているのだと思います。takramに最近入った超絶プログラマーがいるんですが、彼を見ていると、身体が彼にとって耐え難い制約になっているようにしか見えない(笑)。

今の100倍のスピードで高速タイピングできれば生産性が上がるのに、といったSF的感覚がいよいよ現実のものになってきました。

平野:考える能力とフィジカルな能力のギャップですね。僕も運転中にふと、考えるだけで車が右に曲がってくれたらいいのにと思うことがあります。

でも、実際にそうなると一瞬たりともぼーっとできなくなってしまう。ハンドルを握る腕の遊びがあるおかげで、運転のストレスが軽減されている一面があるんです。

僕は、未来の人間の定義は「疲れている」になると思っています。ハンドルのようなバッファーがどんどん取り除かれ、集中力を維持しないといけない状況が、この先緩和されるとは思えません。

人間は今以上に疲れ続けている存在として生きていくしかないんじゃないか。エンターテインメントでも何でも、それが前提になるでしょうね。

さっきの内分泌系の話で言うと、実は身体にも分人化の仕組みはあります。会社に行くと思うと憂鬱になるけど、休みの日は旅行に行くほど元気という適応障害や「新型うつ」の話は、身体自体がそういう分人化のシステムを持っているということだと思います。

田川:大学時代、「大問題を割ると小問題になる。さらに分割して最小問題まで割って解き、その答えを束ねていければ大回答になって問題が解決できる」と教わったんです。

企業の構造もCEOの下に経理やマーケティングや営業があって、その末端に個人がいるという同じ構造になっている。18世紀から20世紀の前半くらいまでは、その仕組みでうまく機能していた。でも今では現実にそぐわなくなっている。

投票権も今は一人一票ですが、この政策についてはこの党に、でもこの政策はあの党に入れたいのに…と割り切れない思いを抱えている人は多いと思う。投票用紙に「1/5 ○○党、4/5 □□党」と書けたらどんなに楽かと思います。

平野:一人の人間が自己実現として一つの職業に就いて、30年も40年もそれが無事に続くという社会はもう限界ですよね。だから、社会のシステムもデザインも、「個人」からもう一つ単位を小さくしていかなければいけない、というのが僕の考えです。

次ページ 「作り手にとっての幸せな状況とは」へ続く