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コラム

電通デザイントーク中継シリーズ

平野啓一郎×田川欣哉「ユーザーを『分人』と捉えてデザインする」

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「観察」は客観的なのか?ユーザー調査の落とし穴

平野:ものをデザインする時、田川さんは具体的に使う人を思い描いて考えますか? その時一番のキーになるのは何ですか?

田川:ユーザーをどう理解するかは、実は一番明確に答えが出ないところなんです。ペルソナを立てようとよく言いますが、ペルソナを立てた方が手が動くデザイナーもいれば、立てた瞬間作れなくなるデザイナーもいます。

いま主流のデザイン思考は、「観察」を基本に置く手法です。観察というのは、デザインする上での正義や正しさを、デザイナーの主観ではなく、環境の側に預けるということです。

でもそれをあまり得意としないデザイナーの場合、正義を個人の側に奪回してもらった方が、実は人に喜ばれるものを生み出しやすかったりします。

平野:その人の主観が、社会的な何かと合致しているというケースですね。天才型とも言えそうです。

田川:そうですね。人間とは不思議なもので、エスノグラフィーの調査などで、デザイナーが見ていると意識した瞬間に、人って「ペルソナ」や「ユーザー」であろうとするんです。存在しない自己一貫性みたいなものを演じはじめる(笑)。

本当に高度なエスノグラフィーを実践するなら、観察されているという意識を極限までなくさないといけない。けれど人間というのは複雑で、誰もがある種分裂的な状況を抱えていますから、高度な観察ができたとして、その複雑な状況全体に訴えかけるものなんて作れない。

結局、そこから切り口をチョイスする部分には主観的な洞察が介在します。観察を使ったデザイン手法は、表面的にはそこに正義があるかのように見えてしまうので、手法として使う側も丁寧に扱う姿勢が必要です。

時代としては、個人の側にある正義が再評価されるフェーズに入っていると思います。個人発の主観であっても、インターネット上にある関心のネットワークにうまくアクセスできれば、その正義に共鳴共感する人たちからの支持や経済的な支援が得られるようになりました。

クラウドファンディングなどがまさにそうです。だから、作る側が自分なりの正義を持って、そういう状況をうまく使いながらものを作ることができるようになってきた。そのような中で、客観と主観、観察と洞察のバランス感覚がデザイナーに求められるようになってきていると思います。

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