コラム

箭内さん!聞かせてください。今日このごろと、広告のこれから。

箭内さん、貧乏だったって本当ですか?

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【前回コラム】「箭内さん!いったい、どこで洋服を買っているんですか?」はこちら

月給のありがたみ

—箭内さんは、決して裕福とは言えないご家庭に育ったと聞いたことがあるのですが……。

博報堂に入ってものすごく嬉しかったことは、毎月給料がもらえるということです。今月はもらえない、とか、マイナスだっていうことがない。不安定な親の稼業とともに育ってきたから、当面安定していることがありがたくて、今月も来月も変わらずにお金がもらえるなんて夢のようだと思いました。

—どんな幼少時代だったんですか?

中学1年までは、10坪くらいのお店の2階に八畳一間の部屋があって、そこに一家4人で住んでいました。学校の授業で家の間取りを聞かれた時に「1部屋」と答えたら「え~!」ってみんなに言われたので、「でも30畳以上あります」って嘘ついたんです。今の教育現場ではそういう質問自体タブーなのかも知れませんが(笑)。それで「箭内くんは30畳の家に住んでいるんだって」って話が親の耳に入って、親も「このままでは申し訳ないな」と考え始めたと、あとあと言ってましたね。

僕の友人でもある放送作家の高須光聖さんが言ってたんですけど、家族みんなが一緒の部屋で寝ているから、親が夜中に「商売がうまくいってない」とか「息子にどれだ愛情を注いでいるか」という話をしているのが、全部聞こえるんですよね。それを寝たふりしながら聞いていました。「子どもの寝たふり」って、意外とある話ですけど、そういう育ち方をしましたね。

福島県で生まれ育ったこともあって「スキーとか上手いでしょ?」と言われるけど、うちは行かないんですよ、絶対。スキーは、お金持ちがする娯楽でしたから。雪といえば、毎朝4時に起きて牛乳配達をするのが僕の日課でした。冬になって、明日は雪かも、道路がツルツルに凍るかもってなると、前夜の家のムードが暗くなるんですよ。我が家では、雪は喜んではいけないものでした。

土曜の午後も日曜も、友だちと遊びに行かずに店の手伝いをしていました。親は「遊んでこい」って言うんだけど、僕は天邪鬼なので、そう言われると絶対に遊びに行きたくなくなって。もし「家の手伝いしろ」って言われたら、手伝いしないで遊びに行ったんだろうけど(笑)。

どんどん友だちと遊ばなくなって、孤独化していって……みんなが友だちと遊んでいる時間に、店の手伝いをしながら、ずっと一人で何か考えていたり、人を観察したり、描いたりしていました。そのときに、「見て覚える」っていう癖がついたように感じます。漢字もたくさん知っていました。小学1年のときに運動会の絵を描いて、校庭を空から見た構図の本部テントに「大運動会」って書いて先生に驚かれたり。今考えると、そうして一人でいた時間が、いろんなことを観察したり想像する今の仕事に、とても役に立っているのではないかと思います。

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