あけすけな表現で笑いを誘う
さらに、「きくかきかぬかの程、私は夢中にて一向存じ申さず候えどもたかが歯を磨くが肝心にてそのほかの効能はきかずとも害にならず」と他人事のように無責任な態度で読者を突き放し、
「ありようは銭がほしさのまま早々売り出し申し候。お使いあそばされ候て、万一よろしからず候わば、だいなし御うちやり遊ばされ候ても、たかのしれたたるご損、私方は塵つもって山とやらにて大いに為に相成り候」と開き直ってみせます。
さらに、「きくかきかぬかの程、私は夢中にて一向存じ申さず候えどもたかが歯を磨くが肝心にてそのほかの効能はきかずとも害にならず」と他人事のように無責任な態度で読者を突き放し、
「ありようは銭がほしさのまま早々売り出し申し候。お使いあそばされ候て、万一よろしからず候わば、だいなし御うちやり遊ばされ候ても、たかのしれたたるご損、私方は塵つもって山とやらにて大いに為に相成り候」と開き直ってみせます。
おかだ・よしろう 1934年、東京・小石川に生れる。早稲田大学政経学部卒業後、1956年に電通入社。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長などを経て電通総研常任監査役を務め98年に退職。大阪万博「笑いのパビリオン」企画、「ゼロックス・ナレッジイン」はじめ数々の都市イベントをプロデュース。電通のCIビジネスへの取組みにリーダーとして、アサヒビール、NTT、JR、東京電力をはじめ数多くのプロジェクトを推進した。また、企業メセナ協議会の創設に尽力した。宣伝会議より『日本の企画者たち ~広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』『日本の歴史的広告クリエイティブ100選』を刊行。
おかだ・よしろう 1934年、東京・小石川に生れる。早稲田大学政経学部卒業後、1956年に電通入社。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長などを経て電通総研常任監査役を務め98年に退職。大阪万博「笑いのパビリオン」企画、「ゼロックス・ナレッジイン」はじめ数々の都市イベントをプロデュース。電通のCIビジネスへの取組みにリーダーとして、アサヒビール、NTT、JR、東京電力をはじめ数多くのプロジェクトを推進した。また、企業メセナ協議会の創設に尽力した。宣伝会議より『日本の企画者たち ~広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』『日本の歴史的広告クリエイティブ100選』を刊行。