「広報はメディアをコントロールできる」は幻想だ — 日大アメフット問題と記者の目線

日本大学アメフット部の選手の悪質なタックルで、関西学院大学の選手が負傷した問題。ネットでは盛んに議論が交わされているが、「メディアと広報」について改めて考える機会となっているのではないだろうか。元日経新聞記者で、ジャーナリストの松林薫氏(月刊『広報会議』連載中)が、解説する。

日本大学は、自然災害対策や情報管理などについて学ぶ「危機管理学部」も擁している

広報テクニックでコントロールできるのか

5月6日に日本大学のアメリカンフットボール選手が関西学院大学の選手を悪質なタックルで負傷させた問題をめぐって、日大の広報対応が注目を集めている。

最近はこうした不祥事があると、事件の内容に留まらず広報対応を含む「危機管理体制」も批判の的になる。ネットメディアなどが「会見者の態度がまずかった」といった専門家の分析を紹介し、一般の人もSNSなどを通じて広報対応の巧拙について語り合うのである。

日本の組織に欠けていた危機管理への意識が高まるのはいい傾向だろう。ただ、優れた広報テクニックがあれば事態を思い通りにコントロールできるかのようなコメントを目にすると、疑問を感じる。

広報とメディアの「アメとムチ」

企業や役所の不祥事を報じる側にいた人間として率直に言えば、「記者会見の仕切りや、メディアへの情報提供を通じて事態を沈静化できる」というのは幻想である。世間には「リークや広告出稿などを駆使すればメディアをコントロールできるという見方もある。しかし、これはあまりにも単純なメディア観だ。

もちろん広報は、ネタの提供などの「アメ」や、出入り禁止などの「ムチ」を武器にメディアと渡り合う。ただ、それはメディアの側も同じだ。厳しい報道と甘い報道を使い分け、アメとムチで応じるのである。

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