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コラム

ブランドなんか大嫌いなブランド担当者が33年かかって、たどり着いたブランド論

なぜ、ブランドに力を入れる必要があるの? 目的が不明瞭なまま始まるプロジェクトの悲劇

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【前回コラム】「あなたの企業・製品・サービスは凡人です! ブランド論の教科書が与える幻想」はこちら

©123RF

「ブランド論」の教科書通りにやってみても、ブランドができない最後の理由

本コラムも4回目です。これまで、なぜあなたの会社がブランドをつくれないのか。ブランド論の教科書通りに実践してみても、なぜうまくいかないのか、その理由について解説してきました。

「ブランドという言葉の定義の曖昧さ」であったり「自分たちのブランドは“凡人”かもしれないのに、スーパースターのようなグローバルブランドを参考にしてしまったり」といった、問題をあげてきましたが、今回はブランド論の教科書通りにやってみたところで、ブランドができない最後の理由・問題について解説していきます。

最後の問題とは、ずばり『ブランドに取り組む目的を間違えてしまっている』からです。

日本では、ブランドという言葉をうさんくさく思っている人も多そうなのに、一方で万能な魔法の杖のように考える傾向もあります。そうなんです! 非常に定義があいまいな言葉であるにもかかわらず、とても価値のあるもののように見えるのが「ブランド」なのです。

だから、かっこよく「この商品に足りないのはブランド力」と言われたり、ブランド論の教科書に出てくるような「情報化が進み、モノからコトへと変化する時代においては、機能的価値よりも情緒的価値が重要となり、ブランド戦略こそが、企業の命運を分けることになるのである」という文章に、「なるほど!」「とても素晴らしい」と思ってしまう。

さらには会社の偉い人たちも「これからはブランドの時代だから、ブランドをやれ!」などと言い出して、そこからブランドへの取り組みがスタートしている場合も多いと聞きます。

ですが、そこに「目的」はありますか? なぜ「ブランドを何とかしないといけない」のでしょうか? 会社の偉い人たちは、なぜ「ブランド力を高めろ」と言っているのでしょうか?

本来は、ある目的を達成するために「ブランドを何とかしないといけない」はずなのです。ブランドを何とかするのは目的達成のための手段でしかありません。でも一番重要なはずのブランドに取り組む本当の目的があいまいで、『ブランドをつくること』が目的になってしまう。つまりは、手段と目的が入れ替わっているのです。

企業にとってブランドをつくることには投資が伴います。そんな重要なことが、目的があいまいなまま、進んでいくはずがないと思う方もいるかもしれません。しかし、ここにブランドの怖さがあります。

それは2回目のコラムで触れたように、ブランドという言葉の定義があいまいであるがゆえ、目的と手段をはき違えていることにすら気づかないのです。「そもそもモノよりコトの時代に重要なブランドって何なのか?」ということは、本当はあいまいだけど、ひとまず棚に上げておいて、ブランドを何とかせねば、何とかしようと考えてしまう。(だって会社の偉い人が、ブランドをやれといってますからね。)

ブランドの実務者が、やるべきなのは、一見すばらしく、ありがたく思えるブランド大好き業界の人たちがつくったブランド論を、現実社会の言葉に翻訳して、さらには目的についても翻訳して、自分の言葉で語れるようにすることなのです。つまりブランドを何とかする」目的をはっきりさせることです。ただ、この翻訳は本当に難しい。なぜなら、翻訳するためには、『ブランドを本当の意味で、きちんとわかっていること』が必要だからです。

しかし実は、世の中のブランド論を表面的に読んだだけで身につくのは、ほとんどの場合、わかったつもりのレベルの知識でしかありません。そもそもブランド初心者に、ブランドの説明をすることは、すごく難しい。本当にきちんとわかってもらうためには、順を追って、いちから、丁寧に説明しないと無理です。

でも、まわりくどい解説をしたブランド論の本は、売れないからなのか存在しません。ですから、ブランド論の説明はどうしても、たとえや省略を使った「わかったつもり」にさせるものとなり、その結果として、わかったつもりレベルまでしか、たどりつきません。しかも、例えや省略が上手なので、自分はきちんとわかっていると思ってしまう(さらに悩ましいのはわかったつもりの人が書いている中身の薄いブランド本もあったりします)。

次ページ 「わかったつもりにさせる説明と、わかるための説明は全く異なる」へ続く