コラム

ビデオコミュニケーションの21世紀〜テレビとネットは交錯せよ!〜

2020年、日本の広告業界は谷口マサトを喪った。

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【前回の記事】「ネット広告はテレビ広告を超えたけど、ネットメディアはマスメディアを超えたのか?」はこちら

谷口マサトはやってることが奇天烈で無茶苦茶すぎだ

谷口マサトとは特に仲が良かったわけではない。歳もひとまわりぐらい違うし、一緒に仕事をやっていたわけでもない。ただ、私は彼が好きだった。人柄はよく知らないので人間的にではなく、彼の発想とそれに基づいた仕事が好きだった。でも事務的ながらたくさん言葉を交わした感じからして、人柄もいい人物だったと思う。奇天烈な表現をするのとは反対に、礼儀正しく義理堅い男だった。

谷口マサト氏の「アドタイ」での連載で、境氏との対談が実現した。

多くの人同様、私が彼を認識したのは例の「大阪の虎ガラのオバチャンと227分デートしてみた」だ。今もこのタイトルで検索すると記事が出てくる。2013年5月とあるからもう7年も前。知らない人はいないと思うが念のため説明すると、映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』のブルーレイ発売を告知する広告企画だった。それを、熟女ブームなのでと大阪のオバチャンとのデートのレポートとして記事にし、その中で「トラ繋がり」というものすごく強引な文脈で『ライフ・オブ・パイ』の内容を紹介するものだった。

やってることが奇天烈で無茶苦茶すぎだ。これも一種の広告だが、こんなやり方は見たこともなかったので大いに気に入った。何より、手間をかけている。あとで聞いたのだが、大阪のオバチャンをオーディションでちゃんと選び、イケメンを連れて行って大阪ロケを敢行したのだ。バッカじゃないの?と手を叩きながら読ませる感覚が好きだった。

それに彼の手法にはどこかメッセージも感じていた。

この頃からすでにネットでの広告はメディアとの関係が議論になっていた。いい加減な編集の新興ネットメディアが跋扈し、しょうもない記事をひたすら連発して小賢しくPVを稼ぎアドネットワークによる広告収入を得ていた。コンテンツに質なんか要らない。そんな空気が蔓延していた。

一方「ステマ」の問題も浮上していた。有名ブロガーがさりげなさを演出しながら商品を語って、裏では企業からお金をもらっている。ブロガーならまだしも、ちゃんとしたメディアが「客観記事に見せかけた広告企画」を掲載するようになっていた。クレジットが必要ではないかとの議論もギスギス音を立てて巻き起こっていた。

谷口マサトの広告記事を「普通の記事に見せかけた広告企画」とは誰も受け取らないだろう。大阪の虎ガラのオバチャンのレポートに、さりげなさは微塵もなく強引に虎の映画の告知を入れ込んでいる。ふざけた広告なのは疑う余地もなかった。

つまり彼の企画には、「ちゃんとしたコンテンツですよ」というメッセージと、「面白い企画ならステマにならない広告ができますよ」というメッセージが含まれていた。少なくとも私にはそう思えた。そして広告価値はコンテンツの面白さで生み出せる、そう言いたがっていた。その分お金もかかるが、価値を認めてくれれば企業は制作費を出してくれる。そんな信念を持っていたようだし、実際に普通の広告企画よりひとまわり高い金額の予算を獲得できていた。クリエイティブの力で予算の壁を突破し、結果も出す。そんな頼もしいニューヒーローに思えた。


 

Facebookで彼を見かけて自身の仕事を紹介する投稿に何度かコメントをつけた。彼の仕事を取り上げて紹介する記事も書いた。そのうち、Facebookでメッセージを送り友達申請をした。

すぐに返事をくれた。

彼も私の記事を読んでくれていた。アイドルと直接知りあえたファンのように、小躍りしたものだ。その後、Advertimesでの彼の連載で対談した。
 

また、私の連載で「電波少年」のT部長こと日テレの土屋敏男さんに引き合わせたこともある。

谷口マサトの制作手法に、「電波少年」に似たものを感じたからだ。実際、いま40代くらいでネットで何か表現する人たちは影響を強く受けているらしい。

そう言えば彼との対談で宣伝会議の谷口優編集長と知り合い、私の連載も始まったのだったと思う。Advertimesに私が登場するきっかけを彼が作ってくれたことになる。それも忘れていたなあ。

その後も私が運営する勉強会で登壇してもらったり、広告企画のプレゼンで彼の名を出させてもらったり、交流は続いた。

Facebookメッセージには彼とのやりとりがすべて残っている。こんなことも相談したっけ、この時は一緒に仲裁役になったんだったなと、細かいことまで思い出して感慨深い。仲良しだったとは言えないが、彼とはこんなにたくさん言葉を交わしたのかと嬉しくなってきた。嬉しいのに目が潤んでくるのはどういうわけだろう。

2017年くらいから、彼はテキスト記事から動画中心に変化していた。また、マンガもプロデュースするようになった。それを見て感想を伝えたりした。次のステップへ飛躍していくんだろうなあと期待していた。

メッセージのやりとりは2018年の12月が最後になっている。この二年ほど言葉を交わしていなかったのか。そんな中、先週になって突然、彼の死が伝わってきた。LINEを辞めたことは聞いていた。鬱になったらしいことも。夏に寄付を受け付けていたのも見かけた。それも彼らしいなと思ったのだが、亡くなるなんて。ショックだが、死因を知りたいとか、最近の様子を聞こうとは思っていない。

ただ、ああ日本の広告業界は彼を生かせなかったんだなあ、と感じた。

LINEを辞めた理由は知らないし、とにかく最近の近況は知らない。ただ、彼の仕事が聞こえて来なくなっていた。動画や漫画を手にして一時期はますます大活躍していた。なのに、いつの間にか活動が聞こえて来なくなった。彼のやり方、彼の表現手法、彼の広告の捉え方が結局はこの国の業界の天井に行き詰まったのではないか。

手がかかる。予算もかかる。業界発想的には主流になりにくいのかもしれない。何しろ広告は、次から次に作業して「回して」お金にしていくものだ。それはレガシーメディアでテレビCMを作るのもネット広告でターゲティングして運用するのも、基本は同じだ。ベルトコンベアに乗せていけないと面倒がられる。それでもテレビCMは総額数億円のうちの数千万円かけた制作物を3ヶ月くらいのスパンでこなすベルトコンベアだったので、創意工夫の生かしようもあった。ところがネット広告では多少予算が増えても数百万円の世界でせいぜい数週間。それでもお金がかかる時間がかかると言われてしまうだろう。

そんな中で谷口マサトはちゃんと考えてちゃんと作る流儀だった。ベルトコンベア化できなかったのではないか。

LINE退社後に彼がどんな仕事をしていたのかを知らないので、上に書いたことは憶測でしかない。だがいずれにしろ日本の広告業界は2020年、谷口マサトを喪ったのだ。彼が生み出したもの、彼がやるはずだったことが途絶えてしまった。コンテンツと広告の関係を極めていこう、追い詰めてみよう、そんなことを自問自答しながら新しい表現を創造していく流れが途切れてしまった。

そう言えばめっきり更新が減ったこの連載で今年私が書いたのはこの二つだ。

広告のいちばん重要な機能は「心を動かすこと」です

ネット広告はテレビ広告を超えたけど、ネットメディアはマスメディアを越えたのか?

この流れに「谷口マサトを喪った」を置くと、やるせない三部作に思えてくる。ネットで広告は心を動かせなくなったし、ネットではメディアは育っておらず、脚光を浴びていた作り手がいなくなった。こんなことでは広告が砂漠のようになってしまう。彼がせっかく種子を撒き芽を出して育ちかけた緑が枯れてしまった。そんな悲しい一年が終わろうとしている。2020年、広告業界は谷口マサトを喪ってしまった。

追記)

原稿を谷口編集長にお渡ししてレイアウトを組んでもらった。それを見て、このまま終わってはいけない気がした。谷口マサトが文句を言いそうだからだ。「やめてくださいよお、そんな暗い終わり方」。ごめんごめん、そうだよね。だって谷口マサトに刺激を受けて、もっとたくさんの若い人たちがいま広告の中でコンテンツ作りを頑張っている最中だろうから。谷口マサトを喪っても、ぼくたちはコンテンツの力を信じていいし、信じるべきなのだ。だってそれを教えてくれた人こそ、谷口マサトなのだから。

彼を喪ったからこそ、彼が開拓した道の先を突き進んでもらいたい。いちばん大変な最初の一歩は彼が踏み出してくれた。続くのは、みなさんです。もっと奇天烈な表現を、さらに無茶苦茶なやり方を、それぞれ頑張ってください。彼を追悼することは、死を悼むことより、面白いコンテンツを作り続けることのはずだから。

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