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コラム

好奇心とクリエイティビティを引き出す「伝説の授業」採集

5時間目:「草で、自分の体重を支えるロープを作れ」 ~ カナダのテクノロジーの授業

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【前回コラム】「4時間目:「三種の神器について、所感を述べよ」 中学時代の黒澤明監督の答案と、先生の採点。」はこちら

イラスト:萩原ゆか

「ちょうどいいところに帰って来た!」

2008年、東京に戻った僕を見つけて、声をかけて来たのは一人の上司。その頃は短期留学制度というものが社にあって、僕はバルセロナのプロダクトデザイナー、Marti Guixeのスタジオに押しかけて、半年働いて来たところだった。

「あのさ、4月からうちの部署にロシア人の女の子が来るから、倉成につけていい?」

聞くところによると、日本語喋れるらしいし何をそんなに焦る必要があるのかと思ったけれど、男性の諸先輩方にとっては、どうしよう、って感じだったのだろう。しかし、スペインとロシアに何のつながりが…?海外ってだけか…?と思いつつ、もちろんこの未知の事態にはこう答えた。

「面白そうじゃないですか~」

そして次の春、一緒に働き始めたのがキリーロバ・ナージャ。それからなんと12年も一緒に仕事をしている。広告も作ったし、いろんなプロジェクトも新規事業も作ったし、海外でのカンファレンスで一緒に授業をやったりもした。

僕のことを師匠なんて、たまにおだてて言うが、はっきり言っていろんなことを教わってばかりなのでどっちが師匠かわからない。特に英語でのプレゼンなんかは彼女に叩き込まれた。僕の右腕と言うよりも、もはや今となっては逆で、僕が右腕か、いや右腕の小指くらいかもしれない。

(この連載を毎回読んでいただいている方はお気づきかもしれませんが、3回目のミネルバ大学のところで出て来たナージャです。)

ナージャは、旧ソ連時代にサンクトペテルブルクで生まれた後、ご両親の転勤に伴い世界6カ国で育ち、5カ国語が話せ、日本語は日本人よりうまく(最初の業務日誌に「初志貫徹で頑張ります」って書いてあった。漢字で。)、企画もピカイチ(2015年の世界のコピーライターランキング1位)、なのだが誰よりもシャイ、というのが特徴。自分から人前には絶対出ないし、聞かなければ自分の話はなかなかしてくれない。それはロシアのお国柄も影響してるみたいだけれど。

だから12年一緒に働いていても、いまだに「なんでそんな面白い話、もっと早くしてくれなかったの!?」ということがある。正式な本名はこの3倍長いとか。空手を習ってたとか。好きな動物は象だとか。

そんなずっと知らなかった話の中に「彼女が世界で受けて来た教育」があった。

ある日、Forbes Japan編集部から相談電話がかかってきた。僕らのチームがForbesで連載をしていることもあって(ちなみに「電通Bチームのニューコンセプト採集」というやつです)、やりとりはいつもしているのだけれども、その時はなんだか急いでる風だった。

「次、教育特集なんですけど、誰か世界の教育について詳しい人、知りませんか!?」

とのこと。世界の教育に詳しい人ねえ、、と、隣を見るとナージャがいた。

「世界6カ国で育って、各国の教育を実際に経験して来た人はいますけど?」

そして数週間後。ナージャの子どもの頃の教育体験が、見開き2ページの記事になった。

Forbes Japan 2015年11月号「泳ぎ方も、金融教育もまるで違う 6カ国で教育を受けたらこうなった!ロシア人クリエーターの悲喜こもごも」

さすがForbes、海外経験豊富なライターさんが担当されて、3時間楽しくおしゃべりしてるうちに、いろんなことをうまく引き出されたらしい。僕も聞いたこともない話がたくさん書いてあった。その中に、ナージャが世界中で受けて来た「伝説の授業」がいくつも。

で、例によって聞く。

「ちょっと。なんでこんな面白い授業いっぱい受けて来たこと、教えてくれなかったの?!」

「だって聞かなかったじゃないですか。聞かれなかったら喋れないですよ!」

ま、それはそうだ。そして、自分としてはこの人生しか生きたことがないのでそれが「普通」だと思っていたらしい。それもそうかもしれない。

今日は、彼女が教えてくれたその「伝説の授業 世界版」から、いくつか紹介していきたい。

1つ目はアメリカから。「マフィンを売るコンテスト」。

家でマフィンを焼いて来て、どのチームが一番売り上げるかを競う小学校の授業。実際に売ってお金のやりとりをする。そして、売るための方法は問われない。売り場のデザインに凝るも良し、スマイル重視で接客に力を入れるもよし。お金持ちの同級生の親をターゲットにして売りに行くというチームもあったらしいがそれもOK。経済について、およびサービスやデザインも含めたビジネス感覚が養われたことだろう。

2つ目はカナダより。「親が自分にいくら教育費をかけてくれているか調べて発表する」。

これはインパクト強くて好きな宿題。親に聞いてみると想像よりも自分にお金をかけてくれていることがわかり、どんな悪ガキでも勉強をし始めたらしい(もちろん経済格差など気をつけなければならない点があるので、現代でのやり方は考えなければならないと思うけれど)。

3つ目はロシア。「数学者が教室に来て、1+1はなぜ2なのか?について1時間話す」授業。

小学校の1年生の最初の算数の授業で行われたらしい。言ってる意味はわからなかったが、大人がこんなにも熱く楽しそうに語るっていうことは、この勉強って面白いんだろうな、と思ったとのこと。この授業も前代未聞。受けてみたい。

4つ目は、皆さんにも考えてもらいましょうか。カナダの中学校、「テクノロジー入門」の1回目の授業から。

この問題は、期限が2週間と長いから、今読むのを止めて2週間トライしてみるのも面白いかもしれない。もし今読み進めるとしても、自分ならこうする、と一瞬シュミレーションしてからどうぞ、先へ。

さて、ナージャはこの課題にどう取り組んだか。

彼女は、2週間、こんな編み方だったらどうかな、いやこっちがいいかなと、あれやこれや試行錯誤して、完成品を学校に持っていったそう。ロープは出来上がったが、実際に授業でぶら下がると…、ロープはプツリと切れたらしい。

他のクラスメートはというと、みんながみんな、ぶら下がるとロープは切れ、誰もこの課題をクリアできなかったそう。全員ミッション達成ならず。そこで先生はこう言った。

「な、テクノロジーってすげえだろ?」と。

ロープみたいな身近なものでも、人類の叡智が詰まっていて、それが引き継がれてる。簡単そうに見えても、自分一人では作れない。それがテクノロジーというものだと。どうだ、すごいだろ?と。

テクノロジー入門というと、コンピューターかな?プログラミングかな?って思うけど、違う。

全員が達成不可能でも構わない失敗前提の宿題をわざと出して、人類が脈々と受け継いできている知恵に気づかせ、尊敬の念を抱かせる。それを「Introduction to technology」、つまりテクノロジー入門の1回目の授業でやる。

ロープを作った人類の祖先もすごいけど、この出題をするカナダの先生、あんたもすげえよ、と言いたい。

カナダの教育エピソードには他にもいいのがあって、英語の「コミュニティー」をテーマにした小論文コンペで、 詩の方が伝わるなと彼女は思い、小論文ではなくポエムにして提出したそう。そしたら 見事、街のグランプリに。かの地の教育界のオープンな雰囲気が伝わってくる(ちなみに同じことを次に転校した日本の北海道でやったら、「だから小論文だって。詩はダメ。」と却下されたそう。お硬いなあ、日本という国は)。

この、Forbesきっかけで明るみに出たナージャの世界の教育体験は、その後いろんなところで化学反応を生んでいく。

まず、2Pの取材では収録しきれなかったエピソードを「世界の教育比較コラム」としてウェブ電通報で連載を始める。すると広告界だけでなく、教育界にも大きなインパクトを生み、2年連続アクセス数1位記事に。それはそうだと思う。研究者だって、今の教育を視察には行けるけれど、もう大人になった以上、体験はできないのだから。

一番有名なのはこの世界の座席比較だろう。机の並べ方ひとつとっても、世界ではこんなにも違う。

ウェブ電通報「5カ国の小学校の座席システム。実は、全部違った。」の記事より。
イラスト:Hugo Yoshikawa

日本では均等に教えるために、先生の方を向いて、生徒たちの机が並んでいる。一人だけのこともあれば、2人の机が並んでいることもある。

ロシアはこれに似ているが、必ず2人がけで男女ペア。女の子の方が発達が早いから、男子の暴走を横でピシッとやってくれるからだとか。そして小学校から高校まで席替えがないこともあるらしい。

イギリスは90年代からコラボレーションに力を入れていてグループ形式で授業が進む。同じ机に座るグループのメンバーは全員同じ成績がついたらしく、できる子ができない子を教えなくてはいけない仕組みになっている。もちろん教科が変わると得意不得意が変わるのでみんなが協力し合う。

フランスは議会形式になっていてアイデンティティーを主張しなくてはいけない。

アメリカはフランスと近いが真ん中にソファーが置いてあって、物語を読むとかそう言うゆったりできる教科はソファーに集まって、カジュアルにリラックスした雰囲気の中で先生がファシリテートしていくらしい。

この記事は、電車の中で全然知らない女子高生が話題にしていたり(知人が目撃して報告してくれた)、ふらっと訪問した小学校ではナージャの記事を読んだ先生が教室の後ろにアメリカ式にリラックスコーナーを作っていたり、そして出版社から声をかけられて絵本(「ナージャと5つの学校」大日本図書)の出版にもつながっていく。

終いには、当時の柴山文科大臣がテレビでこの座席図鑑を引用したりも。ただ、大臣はその時、この座席の比較を例にとって「世界に遅れを取ってはならない。日本も頑張らなくてはいけない。」と言っていたが、ナージャが言いたいことは実はそうではない。

彼女は座席の違いを始めとして、筆記用具や水泳の教え方、ランチ、体育の整列、テストの点数の付け方、たくさんの世界の違いを比較しているが、それで浮き彫りにしているのは「良い悪い」ではない。教育に対する考えや哲学の「違いがある」ということである。どれが正しい正しくないではなく、どの方法を選ぶか。その違いがあるだけだということである。

例えば、ナージャが子どもの頃のソ連ではお遊戯会は「うまい子」たちだけがステージに上がるものだったらしい。あとの子は見るだけ。運動会でも走るのは「速い子」だけである。その教育を通じて子どもたちは小さい時から、自分が向いていることと向いていないことに気づく。そして向いている子はどんどんその方向に行き、大人も国も支援し、エリートを育てる。つまり上を伸ばす教育である。ナージャはこれを「屋根上げ型」と呼んでいる。かたや日本は、昨今運動会の順位すらつけない。平均を伸ばす「底上げ型」だからである。

どちらが良いか?正しいか?ということはない。どちらもメリットとデメリットがあるだけである。その中で考え方に合った方法を選べば良い、というのがナージャの主張である。

ビジネスの世界同様、教育の世界でも、日本は海外の教育を輸入したがる傾向がある。で、結局馴染まないうちに、次のトレンドに移る。そんなことを続ける日本だが、果たしてそれで良いのだろうか?

ちなみに日本の教育にもたくさんの良い部分があると彼女は言う。先程の座席を例にとっても、大臣が言うのと逆で、日本のシステムは優れていると。なぜならば、こんなにフレキシブルに座席の形を変えられる国はない。個別の席で前を向いて授業を受けた次の授業では机をくっつけてグループにもできるし、フランスみたいにロの字型にして議会の形にもできる。だから全部のシステムができる。臨機応変型だ。あと、机を後ろに下げて、掃除もしやすいし。

隣の芝を見ては「青い」と言って持ってくるばかりでなく、まずは足元を見る必要があるのではないだろうか。どんな子どもたちを育てたいのか。そしてどんな社会を作っていきたいのか。どうなると幸せなのか。自己肯定感が低いのは子どもたちではない。この国の大人たちである。海外の方法論を鵜呑みする国家、二匹目のドジョウばかりを狙う国家、追いつけ追い越せ精神ばかりで自分たちの幸せを考えられない国家。国にグチってばかりでもしょうがない。気づいた人から変えていく。国民から意識を変える方が早いかもしれない。

「隣の国の芝よりも、自分たちの芝が青く見えるようにしなさい。なるべく早い未来に。」

これは我々に課された宿題だ。