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コラム

好奇心とクリエイティビティを引き出す「伝説の授業」採集

4時間目:「三種の神器について、所感を述べよ」 中学時代の黒澤明監督の答案と、先生の採点。

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【前回コラム】「3時間目:テーブルを拭く。という入社試験。」はこちら

イラスト:萩原ゆか

「伝説の授業採集」という名でリサーチを始めてからというものここ10年、面白い問題や授業探索に常にアンテナが立っていて、何を読んでも敏感に反応してしまうようになっていたのだが、伝記についてもそうだった。

神童と呼ばれてすくすくと、そのまま何の紆余曲折もなく育って、偉人になった例はない。泣き虫だったとか弱虫だったとかいうマイナスや、貧乏や不遇と言った境遇的な逆境を克服して、世界を変える人になる。

偉人が偉人になる、そのストーリーに、人間ってすごいなと勇気をもらったり、この世は捨てたもんじゃないぞ、奇跡は起こるぞと、時代を超えて夢を見させてくれるのが伝記だが、そのプロセスで必ずと言っていいほど、登場するのが「師」である。

ヘレンケラーにはサリバン先生。坂本龍馬には勝海舟。偉人予定者が、殻を破って、偉人に化けるのを助ける。

伝記に登場する師たちの指導はそれぞれ様々で、手の引っ張り方も、才能への水のあげ方も、原石の磨き方も、わざと冷たくするやり方も、鼻のへし折り方も、師の数だけ方法がある。

今回は、そんな「伝説の授業採集 伝記篇」から1つご紹介。

それは「蝦蟇の油〜自伝のようなもの〜」(岩波現代文庫)という本の中で採集した、映画界のレジェンド、黒澤明監督が受けた伝説の授業だ。

黒澤明監督の自伝「蝦蟇の油」。この原稿のために久々に読み返した。必要部分だけ読もうとしたが、やはり面白く、全部読んでしまった。

「たくさんの師との出会い 〈黒澤明〉を生み出したすべて」と帯にすでに書いてある通り、この本ほどたくさん師が出てくる伝記はなかなかない。

実のお兄さんから小学校の先生、映画の師匠山本嘉次郎監督ほか多数の人々が、黒澤監督の師として登場する(ヒューマニティを重視する黒澤監督としては、その方々を取り上げて感謝を形にしたかったんだろう)。中でも僕が注目したのは中学の歴史の岩松五良先生。特に、彼が出題した期末試験のくだりだ。

「ある期末試験の時のことである。問題は十問ほどあったが、私には殆ど出来ない問題ばかりだった。(中略)私は窮余の一策で、十問目の『三種の神器について、所感を述べよ』という問題だけ取り上げて、答案用紙に三枚ほど勝手なことを書いた。」

せっかくなので、中学時代の黒澤監督も回答したこの問題。ここでちょっと、みなさんにも取り組んでみて欲しい。

 
(読者が考え中の間に、注釈を2つ書いておく。中学といっても、当時は旧制中学。年齢で言うと12-16歳にあたる。また、戦前の話なので三種の神器と言っても、テレビ、冷蔵庫、洗濯機のことではない。本物の方です。)

では、黒澤監督の回答を。それは、以下のようなものだった。

「三種の神器は、話にはいろいろ聞いているが、この目で見たわけではないから、所感を述べよ、と云っても無理だ。八咫(やた)の鏡にしても、実物は誰も見た者はいないのだから、本当は四角かも知れないし、三角かも知れない。私は、自分の眼でしっかり見たものについてしか語れないし、証明されたものしか信じない。自分は見たことしか信じない。」

すごい。三種の神器について、何も答えていない。その代わり、自分のものの見方をキッパリ述べている。いや、自分のものの見方を言い訳に、何も答えなかったという方が正しいか。

この答案に対して、黒澤監督が慕う岩松先生はどう採点したのか。引用する。

「ところが岩松先生は、その歴史の答案を採点して生徒たちに返す時、大きな声で云った。『ここに一つ、変な答案がある。私の問題の一つについてしか答えていないが、なかなか面白い。私は、こんな独創的な答案は初めて見た。こいつを書いた奴は見どころがある。百点だ。黒澤!』」

痛快。

黒澤映画の一幕のように、痛快である。

この章はこういう言葉で締められている。

「昔の先生には、自由な精神を持った、個性豊かな人物が沢山いたのである。それに較べると、今の先生は、ただのサラリーマンが多すぎる。いや、サラリーマンというより、官僚的な人物が多すぎる。こんな先生の教育は、糞の役にも立たない。第一、面白くも可笑しくもないだろう。学生が漫画ばかり読んでいるのも無理はない。私は、小学の時、立川先生という素晴らしい先生がいた。そして中学の時、小原先生、岩松先生という、素晴らしい先生がいた。その先生達は、私の個性を理解し、発揮させるのに、暖かい手を差し伸べてくれた。
 
(中略。さらに数々の師を挙げて。)
 
私は、その人達を思うと、声を張り上げて歌いたくなる。〽︎ 仰げば尊し わが師の恩」

黒澤青年は、紆余曲折の後、ご存知の通り映画監督になる。太陽にカメラを向けてはいけないという当時のタブーを冒して太陽を撮り(「羅生門」)、望遠レンズを付けた多数のカメラ(最大で8台)で同時に撮影し(「七人の侍」)、臨場感を出すために本物の弓矢で主人公を襲ったり(「蜘蛛巣城」)、撮影で開ける予定のない美術の薬棚の棚の全てに薬を入れさせたり(「赤ひげ」)、車窓から見える本物の家が邪魔だと家主に頼み撮影のために家の2階を解体したり(「天国と地獄」)と、他人やそれまでの常識ではなく、誰に何と言われようと自分の信じるやり方で、映画を撮っていく。

そして。世界のクロサワになった。

常識から逸脱して世界を変える人物。その人の側には必ずいつも、逸脱をちゃんと評価する大人がいるのである。それは歴史が証明している。この三種の神器の期末試験がその証拠である。

1980年のカンヌ映画祭での黒澤監督(右)。Photo:Getty Images

新しいことは、それまでの人間の頭の範疇にないことである。次の世代に、新しいものを生んで世界を前進させて欲しいならば、範疇外のことを評価し、支援していかなくてはいけないのは自明である。

しかし最近の日本は、ますますそのあるべき方角の逆に邁進している。つつがないことが貴ばれる傾向が増しているように思える。

規格外のアイデアや人を潰すつつがない国から、新しい時代が始まるとは思えない。想像もつかない新しい未来は、面白いことや独創的なことを褒める、枠の外を貴ぶ国から生まれるだろう。イノベーション立国とはきっと、そういう大人が多い国のことをいうのではないか。

今までこの連載で取り上げた授業や問題は、あなたならどう答えるか?と、読者(&もちろん僕も)に回答者側に立ってもらっていたが、今回のテーマは「枠の外の回答を褒められるか」。つまり、採点者や先生といった、逆の立場の話。そちらの視点を、お互いに問うてみたい。

我々が逸脱回答を褒められるか、ここで1つシュミレーションをしてみよう。歴史上の偉人ではなく僕の身近な人という、もっと近い事例で。

人に会う度にいつも「自分が受けた授業や問題で、面白いのなんかない?」と聞いていた頃があったのだが、そう聞いた時に、友人の宮田真紀さんが教えてくれた、彼女の小学校の面接の話をその舞台にしてみたい。

埼玉に笠原小学校というスゴイ学校があり、転校を希望してみることになったそう。そこは、校舎を建築事務所の象設計集団が設計し、畳の教室があったりもして、チャイムはなし、通知表もナシ、宿題もゼロ。室内も校庭も裸足、教科書を全く使わない教科もあり、修学旅行は生徒がコースを決め、超大御所アーティストが美術を教えに来たりもする、という超実験校。

さて、両親と向かった面接で。面接官の先生が彼女に投げかけた、最初の質問はこれだった。

「『大きい』の反対は?」

小さな声で。彼女はこう答えた。

「い、き、お、お。」

大半の方が意味がわかったと思うが、念のため解説すると、おおきい、の文字を反対に読んで、いきおお、である。

さて、もしあなたがこの面接官の一人だったとしたら。彼女のこの回答をどう評価するだろうか。あなたの考えを持ってもらってから、続きを読んで欲しい。

まず彼女の両親は、娘のこの回答を聞いた瞬間、あ〜落ちた…、と思ったらしい。顔真っ青、という感じだろうか。面白い回答と思ったとしても、リスクが高すぎる回答で、笑えてなかっただろう。

しかし、学校側が下した結果は…、「転入OK」だった。

学校側の想定では、回答に「いきおお」なんて、用意していなかっただろう(想定していたとしたら、実験校にもほどがある!)。けれども彼女の当意即妙な遊び心や閃きを、面接官は評価した。受け止めたその先生、かなりヤる。

そんな答えをした彼女は、大人になってどうしているかというと、大活躍している女性であることは、言うまでもない。初めて出会ったのは、冬のロンドン。向こうでファッションのバイヤーをされていた時だった。イギリスのグレーな空と対照的な向日葵のような明るさと会話の端々に匂う知性が印象的だった。それから十数年の付き合いになるが、世界を相手に活躍するこの女性を育てた一因は、あの回答を受け止めた実験校笠原小学校にあると、僕には思われてならない。

もし、僕がその時点数をつける側だったら、合格にできただろうか。できるような人物側でありたいなともちろん思っている。あなたの面接官シュミレーションでは、どうだっただろうか。

教師や面接官でなくても、そんな場面は、そこかしこにある。逸脱回答を1つ守ってあげることが、新しい次の時代のセカイの〇〇さんを生むことにつながっている可能性がある。我々は全員が、誰かの恩師になれる日常を過ごしている。

黒澤監督の名言にこういうものがある。「悪いところは誰でも見つけられるけれど、いいところを見つけるのは、そのための目を磨いておかないとできない。」

子どもや若手は、枠からはみ出た発想を。大人は、その回答を受け止める準備を。

世界中で褒められた黒澤監督でも、自伝に学校の恩師の話を書きたくなるくらい、若い頃に褒められたことというのは意味があるわけだ。イノベーション立国、なんかのためじゃなくていいけど、より豊かで自由な面白い社会は、規格外を褒めてくれる大人たちが種になって生まれるんじゃないかなと思う。

三種の神器の岩松先生が黒澤監督を褒めたセリフ「見どころがある」。子どもや若者から逆に、「あの大人は僕らのことをわかってくれて、見どころがある」と思われる大人が増えることが、今の日本に一番必要なことではないだろうか。

さあ、今日から。はみ出た回答を、もっと褒めよう。