最近ネタバレを見てから映画を観る人が多いらしい。検索が日常化して、知りたいことを瞬時に受け取ることは普通になった。Tipsなるものがありがたがられるのも、うまくやる方法を効率的に手に入れたいという人が多いからなのだろう。気持ちはとてもわかる。わかりみしかない。コストはなるべくかけずにリターンは得られるだけ得たい、という正直な心に、こうするといいよ!とやさしく、あるいはカッコよく教えてくれる本は不思議と目にとまる。そうした本は書き方もうまいもので、これなら自分にもできそうな気がしてくる……のだけれど、実際に書いてみると、読む前と比べていいコピーがバンバン書ける!ということにはなっていない。という経験、ありませんか?(ぼくにはあります)
ではなぜこういう悲劇がおきてしまうのか。それは決して本のせい、ということでもなくて。おそらく自分の頭で考えることをなるべくショートカットしたい。もっと言うと、できることなら誰かにかわりに考えてもらって答えだけ知りたい、と、ついつい思ってしまうような脳の使い方に慣れてしまっているからじゃないか……というのが現時点での結論です。本を一冊読めば、方法論というOSがまるっとインストールされる、という都合のいいことを期待しすぎ、というか。
自分もこの便利なネット社会を生きるひとりなのでよくわかるのですが、人間ってたいてい、できるだけ自分で考えずにすませようとしませんか?こういう刺激が来たらこう反応する、っていう電気的に処理されるパターンがいくつかあれば、日常生活はほぼ支障なく送れる。ネットにはもういろんなことが書かれているから誰かの意見から選ぶほうがラクだし。「『シン・ウルトラマン』で神永が『野生の思考』を読んでいた理由?それはね……(略)」とか。
でも、コピーを書く場合、そういうわけにはいかない。いや、そういうわけにいってるものもあります。検索で見つかる記事なんかをそのままいただいちゃったのかな?と思ってしまうようなものも、たまにある。でも、自分の視点でコピーを書きたい人なら真摯に、切実に、心の中で叫ぶはずです。「じゃあ、どうしたらいいの?」