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コラム

賞味期限付きのSNSコラム

Twitter社の迷走から考える、分散型SNS時代の広告ってなんだろう?

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Twitterというプラットフォームを失ったら、広告業界はどうなる?

“It’s a great opportunity for people to finally see that social media can be done differently, that it can be a protocol not under control of any single company. ”
(ソーシャルメディアが企業の管理下ではなくプロトコルのもとで独自の運営をおこなえること、それを知ってもらうにはいまだかつてない機会だ)

と、Mastodon創業者のEugen Rochkoが述べているように、Twitter社の迷走は「分散型」「非中央集権」といったとっつきにくそうなテーマを一気に身近な話題に変えてくれた。Web3.0とも称される分散型インターネットは、往々にしてNFT(非代替性トークン) やDeFi (分散型金融) の話題が先行しがちなため、一部の業界ないしは情報感度の高いビジネスパーソンにとっての議論材料にとどまりがちだが、今回は手馴染みのよくなりすぎたSNSの話だから訳がちがう。意図の読めない仕様変更に振り回されないことはもちろん、利益や支配を目的とするテック企業から独立した「分散型」のソーシャルネットワークサービスが求められるようになっているのである。

もちろん、デジタルコミュニケーションを担うわたしたちにとってこれは他人事ではない。日々必死になって広告を作ってはいるものの、プラットフォームの考え方自体はここ数年比較的シンプルだったように思える。Twitter・Instagram・YouTube・TikTok、どれを主戦場にして施策を組み立てていくのか。もちろんだれをどのようにして巻き込んで、どのような配信設計で、など細々としたところに多くの思考とマンパワーが擁されているわけだが、言葉を選ばずに言ってしまえば、Web2.0時代のプラットフォームの存在に多少なりともあぐらをかいていた節がある。新たな分散型SNSの台頭は、ユーザーにとってはさまざまな呪いからの解放である。監視という呪いからの解放、広告という呪いからの解放、無意識なフィルターバブルという呪いからの解放。これらの解放の手段に対して、わたしたちはとてつもないスピードで今後順応を求められていく可能性がある。

もし広告業界がバイラルのポテンシャルの依然高いTwitterというプラットフォームを失ったとき、わたしたちはどのようにしてデジタルコミュニケーションの設計に努めるのだろうか。最近のTwitter社のニュースを見ていて、そんなことを考えずにはいられなかった。ということで、分散型SNSについて知ることでこれからの広告のあり方をほんの少しだけ考えてみる、というのが今回のコラムのテーマです。

増える分散型のSNSは、広告に活用できるのか

まず、250万人の月間アクティブユーザーを抱える「Mastodon(マストドン)」というサービス、おそらく一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。いざさわってみるとTwitterと大きく仕様は変わらない。投稿のことをトゥート(Toot)・リツイートのことをブースト(Boost)と呼んだり、文字数制限が140文字ではなく500文字だったりと、些細なちがいはあるものの、Twitterのアンチテーゼと言えるほどの差分では決してない。
ではなにがちがうのか、その答えは機能云々よりも数段上のレイヤーにある。Mastodonとはものすごくざっくり言ってしまうと「誰でもTwitterのような独立したSNSを立ち上げられるソフトウェア」なのだ。ユーザー自身がサーバーを開設し、そのサーバーに独自のタイムラインが紐付いていく。これらひとつひとつは「インスタンス」と呼ばれ、それぞれはユーザーである管理人が運用のルール等を定めていく。もちろん新規で作らずとも、既存インスタンスにただ参加をすることもできるので一度試してみてほしい。はじめにも述べたように、Mastodonは巨大企業の運営を必要としない超分権的な思想に基づいており、プロトコルの元に公平な運営ができることを指し示しはじめている象徴的なサービスなのである。

Mastodonに限らず、こういった分散型のSNSは数多く存在している。日本国産のMisskey(ミスキー⁠)⁠や、Slack・Discord・Microsoft Teamsなどのチームコミュニケーションツールに近しいMatrix(マトリックス)、分散型の動画共有プラットフォームであるPeerTube(ピアチューブ)、写真特化型のSNSであるPixelfed(ピクセルフェッド)など、挙げきれないほど存在しており、どれもが小規模なサーバーたちで成り立っているSNSである。このまま進むと、この世に次々と新たなサーバーが増え「Mastodonのサーバーを楽しみながら、Misskeyのサーバーもちゃんとチェックしたい」といった横断の需要が発生してくるわけだが、Activity Pubというプロトコルを用いれば、同一アカウント・サービス横断で全サーバーをまるっと楽しむことができる。この群のことをFediverseという。SNSのFederation (連合)を Universe(宇宙空間)になぞらえた言葉だ。なつかしのTumblrもFediverse参入検討を発表していたりと、この輪はますます大きく、そしてとんでもないスピードで便利になっていくのであろう。

そしてあらためて。もし広告業界がバイラルのポテンシャルの依然高いTwitterというプラットフォームを失ったとき、このFediverseを前提としたSNSと真剣に向き合わなくてはならないタイミングにきたとき、わたしたちはどのようにしてデジタルコミュニケーションの設計に努めるのだろうか。すべてのインスタンスを把握することは到底できないし、全インスタンス共通の広告プランなんてものはきっと生まれない。大前提としてテック企業による支配的な運営を退けての分散型SNSなのだから、広告との相性がいいはずはあまりない。

正攻法がむずかしいのであれば、企業の公式アカウントのような立て付けで早いうちにMastodonでサーバーを立ち上げておくのが正解なのか。もしインフルエンサーの定義自体も変わってくるとしたら、フォロワー数ではなく「影響を及ぼしうるインスタンス・サーバーの数」がものを言う時代になるのかもしれない。それとも、spotifyのプレイリストの持ち主にアプローチするのと同じ考え方で、インスタンスの管理主を巻き込むコミュニケーションが適切なのか。もちろんコミュニティが大きくなればなるほど管理にお金と工数はかかってくるのだから、インスタンスへのスポンサリングという概念が発生してもおかしくない。クラスタ戦略みたいなところでいくと、同トライブのなかで所属率の高いインスタンスを横断的に狙っていくことこそがそれになるのかもしれない。

……などなど、考えれば考えるほどただ沼っていくだけな感じがありながらも、Fediverse時代のデジタルコミュニケーションはよりミクロでディープになっていくんじゃないか、みたいなことを思う。来ないかもわからない未来のことなのでなんとも言えないのだが、せっかく年末年始休暇に入るわけだし、不確定な事象に対してあまり悲観的にすぎることなくゆっくりたのしく思いを巡らせてみたい。そんなことを考える年末です。今年もありがとうございました、よいお年を。