先日、次男がフィールドトリップ(いわゆる遠足)のお知らせを持ち帰ってきました。どこに行くと思う?と嬉しそうに話すので、去年は動物園だったよね、その前はシアターだっけ、と会話を続けると、今年は「学校の周辺を散策する」とのこと。
確かに、それも立派な遠足です。そして詳しく話を聞けば、ごみを拾いながら学校の周りを散策すると。さらに次男「なんでこの日か、わかる?アースデイだから」。
4月22日はアースデイでしたね。今回のテーマは「教育」と「気候正義」です。
気候教育はどう変わってきたか?
気候変動について教育の現場での扱い方は、年代とともに、日本でもアメリカでも変遷を重ねています。日本の変遷を見てみると、もともとは社会や理科の授業で扱われていましたが、2015年のパリ協定を経た2020年前後から、科目横断型に。道徳、英語、国語とあらゆる科目に染み出す形で、気候変動に触れる機会を増やすカリキュラムが組まれる流れになったようです。
ちなみに、2021年に文部科学省と環境省から「科目横断で取り組むように」という通達がなされています。最近では、図工や家庭科の時間で、リユース素材を活用したり、朝の会で身近な環境活動について発表する時間を設けたり、国語の文章でもリサイクルについて学んでいたりしますよね。
わが家が住むポートランドはと言えば、ここ近年、
教育の現場に「気候正義」(Climate Justice)という言葉が登場するようになりました。
ポートランドの教育委員会は、2022年に気候正義の価値観を教育の軸のひとつに置くというポリシーを発表しています。
ポートランドの市のサイトから。
そもそも「気候正義」とは?
そもそも「気候正義」とは何か、について簡単に触れておきます。
先進国における化石燃料の使用などが要因となり引き起こされる気候変動の影響の多くを、発展途上国や弱者とされる人たちが受けている状況がまずあります。化石燃料の恩恵をさほど受けていないにもかかわらず、洪水、そして食糧危機などがこの地域に押し寄せ、最初に影響を受けるという現実があるのです。
これを是正するために行動を起こそうというのが気候正義という考え方です。
先進国とされる国々は影響を受ける人々の存在を知り、行動する必要があるということです。

