告白しよう。
ぼくは、小学四年生のころ、親の金を盗んでいた。
ぼくの両親は、栃木でとんかつ専門のレストランをやっていた。なかなか繁盛していたと思う。あまりにも忙しく、一家は生活のほとんどを厨房で過ごしている状態だった。
家とお店は連結しているので、しばしば、爆裂に忙しい厨房のすみっこでカツ丼をかっこみ、昼食や夕食を済ませていた。
「4,800円になりま~す」などという母の声とともに、ジャキーン♪ と心地良い音が鳴る。
レジの引き出しが空き、大量の釣り銭と札が登場する。
よくある風景。お勘定である。
しかし、ある日、クソガキは、ここに目をつけた。
「ウチ、金メチャクチャある」と誤解したんですね。
ウチはなんて金持ちなんだと。それに比べてぼくの小遣い低すぎじゃないかと。当時流行っていた、ミニ四駆「ダッシュ1号・皇帝(エンペラー)」買うのに一ヶ月かかったぞと。
いや本当は、商店なんて、売り上げのほとんどが原価と経費に消えちゃうから、目に見えるお金の量ほど、お金持ちじゃないんですけどね。むしろ貧乏。
さらに、クソガキは思った。
「ここから抜いたら、ぼくのお金になるのではないか?」と。
で、さっそく、翌朝5時に起きるわけです。
よーしラジオ体操やっちゃうぞ、なんなら第2第3までやっちゃうぞ、みたいなノリで外へ出つつ、抜き足差し足忍び足……。
店のドアを開けた。
目の前に、カギつきのレジがある。ぼくは、どうやって開けるのかわからず、キーボードUI上アフォーダンスが高いとされる、右下端の一番でかいキー「=」を叩いた。
ジャキーン♪
あ、開いた!!!
そこには、小学生にとって、インフィニティと思える量の硬貨があった。それに、お年玉以外では手にしたことのない、漱石・諭吉・稲造ファミリーも大量に鎮座ましましているではないか。
ごくり。
つばを飲み込んだ。
どくん、どくん。
胸が早鐘を打った。
おそるおそる、500円玉を1枚、手にとった。
レジの引き出しを静かに戻し、店にカギをかけ、こっそりと帰宅。
両親は寝ていた。500円玉を引き出しの一番奥にしまい、また布団に戻る。
ドキドキして眠れない……。
その日。ぼくは、かねてから欲しかった、ミニ四駆の「ハイパーダッシュモーター」を購入した。
ハイパーダッシュモーターとは、当時、速すぎて公式レースでは使えないほどの威力を持ち、栃木でも「これはエゲツなすぎて、よう買わんべ。公式で使えんし。禁じ手だがね」(※いずれにせよ公式のレースには出ません)と言われていたパーツだった。
買ってしまった。
友達とミニ四駆の競争をした。ハイパーダッシュモーターを装着した、ぼくの皇帝(エンペラー)は、仲間内でも、ぶっちぎりの速さを見せた。
ぶっちぎりすぎて、側溝にはまって大破した。
帰り道、雨の中。少年はスキップしていた。
ミニ四駆は大破したが、少年はうれしくてたまらなかった。
オレは自由だー!!!!!!!

ガカァーッ!!
ミニ四駆なんて、また買えばいいではないか。もうこれで、手の届かなかった、ワンウェイホイール(350円)も買えるではないか。いやいや、あきらめていたボールベアリング(700円)も買えるではないか!

ワンウェイホイール

ボールベアリング
こうして、少年は、フォースの暗黒面に落ちた。
殺意の波動に目覚めた。
目の玉が紅に染まった瞬間だった。
その後、少年は早朝に起き、店のレジから金を盗むという愚行を2度、繰り返した。一向にバレなかった。しかし、背徳感とともに、親の顔を見ると、どこかうしろ暗い気持ちが募ってゆくのだった。
「今日はヒロキの好きなグラタンだよ」
という母の笑顔、疲れて帰ってきても、優しい父の顔を正視できなくなった。
そこで、少年は考えた。
そうだ、1万円札を盗もう。
1万円をゲットすれば、しばらくは同じ行為をする必要がなくなる。こまめに繰り返すことはリスクが高いうえ、背徳感もつのる。ならば、一発でかい捕物をやってしまったほうが、精神的に健康になるのではないか。
翌朝、少年は、思い切ってレジから福沢諭吉に手をかけた。
できるだけ小さく折り曲げ、だいじにだいじに、引き出しの一番奥にしまった。
不思議と、もう胸のドキドキは、しなくなっていた。
その日の午後。
学校から帰宅すると、
件の1万円札がパックリ開かれて、勉強机の上に。
目玉が飛び出た。
こ、ここここここ、これは……?
母が夕飯の支度をしながら、つとめて明るく言った。
「あんた、夜、お父さんから話があるから」
バレてますがな…。
ビクビクしながら夜を待つ。玉川上水に入水して死にたくなった。
そうだ、玉川上水行こう。
……と、思ったあたりで、「ただいまー」と、父が仕事から帰宅してしまった。
どどどどどどどどどうしよう。
ぼくの戦略はひとつ。
「道で拾った」とシラを切り続けること。ぼくが道で1万円札を拾い、それをたまたま自分の引き出しの中に入れていた可能性を、誰が否定できようか。
父は、「お前ちょっとここ座れ」と、ぼくを正座させた。父もまた正座して対面した。
「ヒロキ、この1万円札、どうしたんだ」
「道で拾った」
「本当か」
「本当だよ」
「嘘だろ」
「……ほ、本当なの!拾ったつったら、拾ったんだよ!!」
しばし沈黙のあと、父が値踏みするように口を開いた。
「そうか。……実は、お前は知らないだろうが、お店というのは、レジの精算というのをしていてな、毎日お金をちゃんと数えているんだ。ちょうど最近11,500円足りないんだけど、お前、何か知ってるんじゃないのか」
11,500円は、ぼくがレジからちょろまかした合計金額と、完全に符合した。
ぼくはさらに焦った。
「し、知らない!拾ったんだもん!」
「そうか……」
しばらく父は考えて、母と何事か相談した後、こう言った。
「わかった。じゃあ、こうしよう。父さんはお前を信じる」
「えっ…(や、やった!)」
「ただ、この1万円は、道で拾ったんだから、ヒロキのお金じゃないよな? 勝手に自分のモノにしちゃダメだ。……そこで、だ。この一万円は、道で幸運にも拾ったんだから、反対に、道で不幸な目にあった交通遺児に寄付しよう」
人は、意表をつき、かつ、一見筋の通った新しい提案に弱い。
交通遺児に募金する、という主張は、「ぼくの金ではない」「道で幸運 ←→ 道で不幸、の反面性」によって説得力のある提案になった。
ぼくは、賛成するしかなかった。
ま、まあいい。自分が盗んだとバレていないのなら、またほとぼりが冷めたころに、もういちどやればいい……。
32分割に折られてグシャグシャになった福沢諭吉を、しぶしぶ親父に委ねた。
一週間後。
小学校の全校朝礼。
教頭先生が言った。
「えー、今日は、朝礼の前に、すばらしい生徒を表彰したいと思います。」
ざわざわ……
「それは、中村ヒロキくんです!!」
えっ?
校長が、壇上から咳払いひとつ。
「彼は、道で拾った1万円札を、なんと交通事故で不幸な目に遭った、交通遺児に寄付してくれた、非常に心の優しい子なんです!」
心の中で、牛乳を吹いた。
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
「栃木県警から、お礼状が届いています。中村くん、壇上まで!」
いや、違っ……。
壇上に登る。んもう顔真っ赤っ赤である。お腹も痛くなってきた。校長はニッコリ笑い、「君はすばらしいことをしたね!」と表彰状を渡す。
もうね、振り返ると、全校生徒、大拍手。
列に戻るぼくに、友人も「ヒロキ、やったじゃん!」「すごいなー」などと拍手喝采。
いや、違うんだ、みんな。ぼくは、そんな人間じゃないんだ。
誰にも、真実を伝えることができない。
ぼくは、うつむいたまま、みんなの顔を見ることができない……。
……これ以降、ぼくは親の金を盗むことはなくなった。
父は、全校朝礼での手痛いしっぺ返しまで想像して、あのような提案をしたのだろうか? 今となっては、それはわからない。が、親父の知略のおかげで、ぼくは「親の金を盗むクズ野郎」から一発で脱却できた、と今は感謝している。
あのとき、両親がぼくを信じず「お前が盗んだんだろう」と決め込んで、ぼくを叱りつけていたら、ぼくの感情と、その後の行動は変わっていたはずだ。
ぼくが、この実体験を通して学んだことは、
・ウソはついてはいけない。絶対バレてしっぺ返しをくらう。
・お金には、清廉潔白であるべき。
・人は、意表を突いた、かつ、一見筋の通った提案に弱い。
ということ。なにより、
親父が提案したゲームに乗った結果、
問題は、最高の形で解決された。
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ものごとには、だいたいルールやしくみというものがある。
お金がもうかるビジネス、みんなが美味しいと感じるもの、広告クリエイティブ、キレイなデザインだと思われるものだって、だいたいにおいて法則がある。あてずっぽうでやって、うまくいくわけはない。
Googleは、もともとまったく儲からない、単なる精度のいい検索エンジンだった。アドセンスというアフィリエイトのしくみが、彼らを億万長者に変えた。
連続起業家の家入一真さんが、はじめに当てたのは、ロリポップという、「異常に安い」レンタルサーバー業態だった。100人から月10,000円を取るのではなく、100,000人から月100円をもらうルールをつくった。
なぜ、新興宗教の洗脳はかなりの確率でうまくいくのか?ターゲットを、肉体的・精神的に極限状態まで追い込むしくみがあるからだ。
広告業界では、最近の若者は「しくみオリエンテッド」になって、ああ嘆かわしや、表現はどこに行った、と重鎮たちは言われている。
アホかと。
しくみ、大好き。ルール、最高じゃないですか。新しいしくみを作って持ち込めるのが、デジタルのいいところだと思うんです。
表現なんて、人によって好みが分かれるものに、どんだけ依拠してんですかと。
それだと、才能が必要になっちゃうじゃないですか。
(※先輩たちは、若者がしばしば、最も大事な「何を言うか」を差し置いて手法だけに走ってしまうことを揶揄して、こう言っているいるんですけどね)
クリエイティブと呼ばれる人こそ「成功しているもの」のメソッドを咀嚼・利用し、その中に「たぶん共感されるであろう、自分のオリジナリティ」を注入することで、失敗しにくい、プロの仕事ができるのである。
たとえば、駅の自動改札を通るとき「100万回に1回、100万円が当たる」と、今までなんてことないSuicaをかざす行為が、急にワクワクする体験になるかもしれない。
そう伝えるのが、従来型の広告なら、実際に自動改札を改造するのが、ぼくたちだ。
(ちなみに、改札の料金は10円上がる。JRと公団は900万円の利益が出る)
むずかしいことではない。学校のクラスが盛り上がる、新しい遊びのルールを考えるようなものだ。しくみというものの魔力は、本来嫌われ者である、クソつまらない「あの」広告を、楽しい遊びに変えてしまう力だってある。
PARTYのCDは、誰もみな、違った志向がある。伊藤はアート、川村は映像、清水はテクノロジー……アート志向と思われた伊藤が、OMOTE 3D SHASHIN KAN や EN ROUTE のような、新しいしくみ作っちゃったり、テクノロジー志向の清水が、メチャクチャ面白くて話題になる文章を書くので、みんなすごいなーとか思いつつ、中村は、PARTYでは圧倒的に、しくみの人です。
いかに、新しい遊びのルールを考えるか。
なぜ、「あれ」は毎回人を惹きつけるのか。
そういうことを、毎回、恥部をさらしながら、いっしょに考えていこうと思います。
よろしくね!
父さん、母さん、はじめて話します。ごめんなさい。