先日、はじめてタグボートの多田琢さんにお会いした。
若い皆さんにはすごさがわからないかもしれないが、CMの一時代を築きあげた、
ぼくらからすると「おもしろいCMのカタマリ」みたいな人である。
PEPSI NEX ZERO 桃太郎
そのときの話が印象的だったので、紹介したい。
ぼくは「たぐいまれなしごとをしている人には、その人なりのメソッド、ルールがあるはずだ」と思っている人間なので、そのルールを引き出そうとした。
「どこに秘訣があるんですか」と。
しかし、多田さんの返事は意外なものだった。
「自分がこのCMだったら観たいというものをつくるだけ」
……え、それだけ?
もっとなんかこう、音楽の使い方に一定のやり方がある、とか、独自の発想法がある、とかあるんじゃないの、と思い、もっと深くつっこんでみた。
すると、この言葉の奥底にある「強さ」がわかってきた。
多田さんは、営業を7年間経験し、プランナー職に転職した。
その当時、いくら企画を出しても、うまく行かなかった。
ボスであるクリエイティブディレクターに「どこがダメなのですか?」と聞いたところボスは、
「……本当にキミが観たいと思うものなの、これ?」
とおっしゃった。
多田さんがつくるものは、そこから変わったそうだ。
営業をつとめたり、社会に長く接すると、「事情まみれ」になる。
誰だって、若いころ、何も知らないころは、「こうしたらもっと面白いのに」というものがたくさんある。
「15秒でタレントがやんややんや言うつまらないCMなんて何のためにあるんだ」とか、
「どのブログにもついてくる、クソみたいなバナーは誰もクリックしないよ」とか、
「『これはCM上の表現です』ってなんだ」とか。
さまざまな障壁、自主規制……。
そういう殻を突き破ろうとすると、社会という名の先輩からボコボコにされ、
四角かった自分が、きれいな丸に削り込まれていく。
世の中なんでも、深い深い理由が、事情が、あるものなのだ。
「先回りして考えろ」と言われ、頭がいい人ほど先回りしすぎる。
事情にもみくちゃにされ、本当は、削らなくていいところ、大事なまで巻き込んで、
まあるくまあるくなって、きれいな丸ができる。顔つきが変わってくる。
そうして、ぼくらはオトナになる。
多田さんは「いや、ここは尖ってていいんだ」という示唆をもらい、
再度、自分を見つめなおすことができたのだろう。
「そこは尖ってていいよ」と言ってくれる上司が、世の中にどれだけいるだろうか?
「丸くなれ」と言われても、尖った自分を信じることができるだろうか?
丸くなっちゃった、諸事情をはじめから鑑みた、ワクワクしないアイデアのことを業界用語で「置きに行く」などと言ったりする。
置きに行っては、ぜったいダメだ。
これだけは言える。
ぼくは、仕事で「置きに行った」ことは一度もない。
これって、ほめられたもんじゃない。
バカで、向こう見ずすぎて、相手に合わせて丸めることがイマイチできないから、全力で突っ込んで、仕事そのものがなくなったり、ローンチ3日前にお蔵入りになったり、クビになる。
でも、15年間くらいこの仕事やってきて、それで間違ってないんだろうな、と思う。
1年のうち、少ない人でも平均約2,000時間、ぼくらは働いている。
一度しかない人生の、ほとんどの時間をかけている仕事を、置きに行くのか?
「ま、今回はこのくらいでいいか」をやっているうちに、
あっという間におっさんになるよ。
学生や、若い子たちのプレゼンテーションをよく聞く機会がある。
彼らはプレゼンも、企画書も、すごく優秀で、ビックリする。
ただ、「なーんかはじめっから丸いなあ」と思うのだ。
そして、丸い人は、摩擦が生まれないから、まあるいまんま、オトナになる。
なんか自分に物足りなさを感じても、アドバイスしてくれる人なんかいない。
四角いものを「もっと丸くなれ」とアドバイスすることはできるが、
丸いものに「もっと尖れ」とアドバイスするほうがむずかしいのだ。
……かと言って、向こう見ずなことばかり言っていても、何一つ実現できない。
ぼくの場合は、「今、自分がやれることのちょっと上」を目標に定めるようにしている。
たとえば 理論上はできるが、メチャクチャ大変なこととか 、だ。
最近で大変な思いをしたのは、たとえば「Haruhi Hunting」というキャンペーン。
パチンコ「涼宮ハルヒの憂鬱」のお宝ムービーをいちコマずつ看板やコンビニ、雑誌広告など日本中に配し、みんなが写メしてはじめてひとつのムービー作品が浮かび上がる。
本来1種類のはずの「版」を、ごく短期間で707種類、10,000ヶ所以上の場所を考えて入稿しなければならなかった。
本来なら不可能な物量だが、Adobe Illustratorのプログラムを開発して、
版のサイズを入力するだけで、瞬時に入稿データができるようなシステムをつくったり、いろいろ工夫して、不可能が可能になった。
そういうところにおいしいモノが隠れてるんじゃないかな、と思う。
そのすべてにユーザーが反応してくれた。
707種中1枚も、撮り逃しはなかった。
完成した動画を見たとき「なかなかできないところまで行ったかな」とちょっと思う。
「やれることのちょっと上」を獲得したら、そこがまた「やれること」の地平になれる。
福里真一さんは、「困っている人のためのアイデアとプレゼンの本」のなかで、
「人は、自分のできることしか、できない。」と語っている。
人は、ベストオブベストを求めすぎると、判断が狂う。
そんな幻想のような都合のいいものは、結局ありはしない。
高望みをせず、今できることを、ひとつ積み上げていく。
決して向こう見ずな挑戦ではなく、背伸びしすぎず、
でも、ひとつだけ、尖る。
バカで向こう見ずな仮説を立てて、自分が面白いと思うものを、
みんなが見てみたいものか、検証する。
ひとつ、またひとつ。
ちょっとずつ積み上げていく。
そうして、10年くらい経って、ふと後ろを振り返ってみると、
ずいぶん遠いところまで来ている自分に気づく。
ふだんのしごとに「ちょっとだけ尖った、自分がやってみたいアイデア」を混ぜるクセをつけるだけだ。
「いらん」と言われても、ボコボコにされても、意に介する事なく。
腹筋も、ランニングも、英会話も3日坊主であっても、これくらいならできるんじゃないだろうか?
自分以外、誰もいない、静かな夜のオフィス。
みんな、もう帰ってしまった。
世の中の酸いも甘いも経験し、事情にもみくちゃにされ、
何が正しいのかまちがってるのか、何が正義で何が悪だか、よくわからなくなった。
なんのために、こんなことやってるんだろうなあ。
だれのために、こんなことやってるんだったっけ?
月が明るい。
「私って、結局何が見たいんだっけ。」
ひとりごちる。
こんな時間に、ひとりでむにゃむにゃ考えて、悩んでいるのは、日本中で自分だけかも?
……だいじょうぶ。
少なくともひとりくらいは、同じようにむにゃむにゃ悩んでいるバカ野郎がいるから。
たぶん、代官山あたりに。
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アドバタイムズでの私の連載は、これで終わりです。
これは広告の話ですが、そうじゃなくても、本気になればなるほど、純粋に何かを成そうとすればするほど、悩んでない人なんていないんじゃないか、と思います。
少しでも、悩める人の足しになれば幸いです。
ボツと遅延だらけの連載、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
中村洋基先生の次回作にご期待ください!!!!
【最近の中村洋基】
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TOKYO FM「澤本・権八のすぐに終わりますから。」毎週ゲストとして中村、出演中!アドタイとも無軌道にコラボしています!
●中目黒に
というコーヒー屋台はじめました。
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