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コラム

「ことば」のことは、プロに聞け!

第3回 世界の見え方をガラリと変える、そんなコピーに出会いたい(作家:浅生 鴨)

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「ことば」ひとつでグランプリを競う「宣伝会議賞」。本コラムでは、第59回の開催を記念した特別コラムとして、「ことば」の力にフォーカスを当てています。コピーライターに限らず、「ことば」を武器に活躍するプロの方々は「ことば」についてどのように考えているのでしょうか。第3回は作家の浅生鴨さんが登場。文芸の目線からも話を聞きました。

浅生 鴨(あそう・かも)

作家、広告プランナー。1971年、神戸市生まれ。たいていのことは苦手。ゲーム、レコード、デザイン、広告、演劇、イベント、放送などさまざまな業界・職種を経た後、現在は執筆活動を中心に、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手掛けている。主な著書に、『中の人などいない』『アグニオン』『二・二六』(新潮社)、『猫たちの色メガネ』(KADOKAWA)、『伴走者』(講談社)、『どこでもない場所』(左右社)、『だから僕は、ググらない』(大和出版)、『雑文御免』『うっかり失敬』(ネコノス)、近年、同人活動もはじめ『『異人と同人』『雨は五分後にやんで』などを展開中。座右の銘は「棚からぼた餅」。最新作は『あざらしのひと』(ネコノス)

 

短い言葉が、僕の人生の一部をつくってきた

言葉は思考そのものだから、僕たちは言葉を使わずにものを考えることはできない。言葉になる前のモヤモヤとしたイメージは、それだけではどうすることもできなくて。言葉にして初めて自分の考えを自分で理解できるようになるし、他人に伝えられるものにもなる。
そうやって伝える言葉で、僕たちは人を笑わせることも泣かせることもできるし、悲しませることや怒らせることもできる。その場にいない人たちへ気持ちを届けることもできるし、時代を超えて情報を伝えることもできる。そんなふうにして、人の心に働きかける力が言葉にはある。

たった一行の短い言葉が誰かの人生をガラリと変えてしまえるかどうかはわからないけれども、少なくともその後の人生に多少の影響を与えることはできる。
「あんたは優しい子だからね」
10代のころに祖母から言われたこの言葉は、その後、僕が何かを決めるときには必ず頭に浮かぶようになった。優しさを捨てて厳しい選択をしなければならないときにもこの言葉が浮かんで、本当は僕にだってかなり冷たい面があるのに、どうも冷酷に徹し切れなくなるからなかなかやっかいだし、その意味で、この短い言葉はまちがいなく僕の人生の一部をつくってきたように感じている。

文芸の世界、僕は言葉で絵を描いている

僕は今、文芸の世界でものを書いている。ほかの作家たちが文学や小説についてどう考えているかはあまりよく知らないけれども、僕自身は文芸とは、言葉を使って言葉では伝わらない何かを伝える芸なのだと思っている。それは、他人の頭の中に言葉で絵を描くような作業だ。僕の頭の中にあるモヤモヤとしたイメージを言葉に置き換え、その言葉を伝えることで他人の頭の中に新しい絵を映し出しイメージを共有する、そんな作業だ。けれども僕が最終的に伝えたいのはその絵やイメージそのものではなく、そこから芽生える様々な感情だ。僕には世界がこんな風に見えている、僕は世界をこんな風に感じている、その心の動きを伝えたくて僕は言葉で絵を描いているのだ。

他人の頭の中に絵を描くためには、どんな絵をどれくらい緻密に描くかを決めなければならない。あまりにも緻密に描きすぎれば、それはもう写真を見せているのと同じことになるし、ラフな骨格しか描けなければ、同じイメージを共有してそこから感情を引き出すことは難しくなる。同じ言葉を使っても人によってそれぞれ生まれるイメージは異なってくるから、どんな言葉を使えば多くの人に同じイメージを、そして似た感情や考えを生み出せるかの工夫が、たぶん芸の見せ所になる。

次ページ 「使える言葉が増えるほど、世界の解像度が増す」へ続く