広告業から事業会社のマーケターへ
──学生時代、なぜ広告の仕事を志したのですか。
学生時代の私は、「意識高く勉強するタイプ」ではなくて……。法学部に在籍していたものの、音楽や古着屋巡りなど、カルチャーに浸る時間のほうが長かったと思います。広告界を志したのは、『宣伝会議』がきっかけでした。広告をカルチャーのひとつとして楽しみ、「こんな世界で働けたらおもしろいだろうな」とワクワクしたことを覚えています。
スヴェンソン メンズ事業部 マーケティング部 マネージャー 北島寛之 氏
2008年に大学卒業後、広告制作会社などを経て2012年に大手通販化粧品企業へ入社。事業会社のマーケターに転身する。2016年、大手光学機器メーカーへ転職。レンズのサブスクサービス立ち上げなどを実現。コロナ禍で早期退職し、イギリスで語学とマーケティングを学ぶ。帰国後、SNS運用会社でのコンサルティング業務やフリーランスなどを経て、2024年6月より現職。
新卒で入ったのは社員30名ほどの小さな制作会社。大手広告会社と組んでナショナルクライアントの案件を担当し、イベントや店頭プロモーションなど幅広い仕事を任せてもらいました。華やかに見えた世界は、実際には泥臭い段取りや推進力が必要。そのギャップに戸惑いましたが、自分の手掛けた仕事がテレビや新聞で紹介されると、苦労が報われた気持ちになりました。
──その会社が突然事業縮小をした?
はい。1年半勤めたときでした。その後は、不動産業界の企業に在籍しつつ、新事業のような形で広告の仕事を続けました。制作の実務は前職でお世話になったデザイナーやコピーライターにお願いし、私は営業と企画に専念。ひとりで1日100本の営業電話をかけ、制作の段取りに追われる日々。当時は、若さと、信頼できる仲間たちに助けられていましたが、正直、綱渡りの毎日でした。とにかく目の前の仕事に食らいつくしかありません。
ときには、広告の枠を超えた仕事にも挑戦しました。例えば、ある重機メーカーからは、営業活動の改善のコンサルティングを求められました。経験はありませんでしたが、必死に考えて提案しました。
駆け出しからこの頃までに培った、「まずは動く」「必要なことを見極め、人の力を借りながら仕事を前に進める」姿勢は、今の私を支える大切な土台になっています。
マスメディアン 取締役 国家資格キャリアコンサルタント 荒川直哉
マーケティング・クリエイティブ職専門のキャリアコンサルタント。累計4000名以上の転職を支援する一方で、大手事業会社や広告会社、広告制作会社、IT 企業、コンサル企業への採用コンサルティングを行う。転職希望者と採用企業の両方の動向を把握しているエキスパートとして、キャリアコンサルティング部門の責任者を務める。「転職者の親身になる」がモットー。
──事業会社のマーケターに転身した理由を教えてください。
ひとつは、施策の成果に責任を負いたいと思ったこと。キャンペーンの企画や施策を提案して、納品したら終わり、という仕事だと、中長期的な成果を確かめられず、次第に物足りなさを感じるようになっていたからです。
もうひとつがスピード感。外から課題が見えても、相談されていない領域には手を出せません。事業会社のマーケターなら、「こうすべきだ」と思えば自分で動ける。そのダイナミズムに強く惹かれました。

