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集合知をつくる対話の心・技・体(4)

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小林 正弥 千葉大学大学院人文社会科学研究科教授
戸松 義晴 全日本仏教会、浄土宗総合研究所
枝廣 淳子 環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所

6月25日掲載の「集合知をつくる対話の心・技・体(3)」の続きです。

「和」とは違いを認めること。意見を言わないのは「和」ではない

――調和的な人間関係を重視する日本社会では、公的な場で、特に目上の人への反対意見を言うのは難しく、なかなか実りある議論ができません。


小林正弥(こばやし まさや)
千葉大学大学院人文社会科学研究科教授

小林 公共哲学のプロジェクトや対話型講義では、対話の「場」をつくり、国や社会に議論のモデルを示すことを試みてきました。それにはファシリテーターや教師の役割が非常に重要です。参加者の意見を引き出しながら議論を展開させ、場に対話の精神を育んでいきます。うまくいくと、対話があたかも生きた精神を持っているかのように、らせん状に発展していくのです。そういう場に一度でも参加して体験を通して生き生きとした対話による知恵の高め方を学ぶと、対話の意義がよくわかるようになります。

枝廣 時間が限られたなかで1人ひとりの意見を引き出すコツはあるのですか。

小林 仏教では自己内の対話が大事ということでしたが、これは公共哲学でも同じです。対話型講義では、他者との対話を通じて、自己内対話を促進すると言えるでしょう。限られた時間のなかで考えを深めてもらうために、あらかじめ道徳的なジレンマを提起して、どちらかの立場から議論してもらいます。その際に、途中で考え方が変わってもいいというのは、他者の対話を通じて、自分の内部で一種の対話が起こるからです。ですから、自分の初めの考えに固執せずに新しい考え方に触れ、自分の考えを深めることが重要です。

また、対立する相手の考えを理性的に聞くことも大事です。相手を説得しようとして長々と発言する人がいる場合は止めて、流れを変えるのがファシリテーターの役割です。ディベートとは違って、対話型講義では、多くの参加者の考え方が生産的に変化するほうが成功といえます。


枝廣淳子(えだひろ じゅんこ)
環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所

枝廣 海外の人たちは国際会議の場では喧々諤々の議論をしても控室に戻ると和気あいあいとしているのですが、日本人どうしで議論をすると会議が終わってからも気まずく話をしなくなります。日本人は、自分と自分の意見を分けて考えるのが苦手で、意見が否定されると自分自身が否定されたような気になってしまう傾向が顕著です。

小林 鎌倉の建長寺をはじめ各地で対話型講義をし、大いに盛り上がっていますので、日本人どうしでもやり方次第でうまくいくと思います。建長寺の対話型講義を提案してくれたのは僧侶の方で、仏教に関心のある一般の方と僧侶が参加して、仏教における善と正義の関係や世界の貧困問題などについて話合いました。

仏教と哲学は水と油で交わらないと考えている人も多いかもしれませんが、建長寺での対話型講義を通じて、共通点が多いことがわかりました。たとえば、全日本仏教会は、原発を経済の問題ではなく、いのちの問題として考え、宣言文を出されたわけですが、政治哲学でも同じような議論がなされます。たとえば、経済成長を幸福と考えるよな功利主義の考え方が行きすぎると、生命を軽んじることになりかねません。これまで経済を優先して原発を造ってきたわけですが、原発周辺の住民などの生命や健康・安全を犠牲にしかねないという問題があるのです。

一方、経済が立ち行かなくなって失業が増えれば、社会が不安定になり犯罪などが増える可能性もあります。この2つの論理を冷静に見て、判断を下す必要があるのです。その際に、哲学的な原理や理念が必要となります。いきなり原発をやめる・やめないの結論を出すのではなく、推進派も反対派も徹底的に議論してみて、人々の知恵を集め、最後は国家の立脚すべき根本的な原理まで考えてから判断することが大事なのです。

私は、千葉大学以外でも市民と対話型講義を行っているのですが、建長寺で仏教者や市民と議論してみて、お寺は、開かれた議論の場となりうると思いました。また、エネルギーの議論に宗教者や芸術家といった文化の担い手が加わることで、新しい考え方を紡ぎ出せるのではないかと思います。これまで交わらなかった人たちが対話し、異質な考え方と出会うことで、集合的に新しい考え方を生み出す― これは対話型講義の醍醐味ですが、その意味で仏教には大いに期待できると思います。

枝廣 仏教を日本に広めた聖徳太子の17条憲法では、「上(かみ)和やわらぎ下(しも)睦びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず」といって「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議すれば、自ずから物事の道理にかない、どんなことも成就する」とあります。


戸松義晴(とまつ よしはる)
全日本仏教会、浄土宗総合研究所

戸松 真理を求め続けていくプロセスが仏教における「行」ですが、これは滝に打たれたり、座禅を組んだりすることではなく、一瞬一瞬の生き方の積み重ねであり、日常のなかの実践こそが「行」です。この過程では、思考のプロセスを重んじるので、対話は非常に大事な学びなのですが、いまは教義に従うことだと誤解されています。

また、日本では、「和」を乱すのは良くないと言われますが、本来の「和」というのは違いを認めて共に生きることなので、自分の考えを抑圧したり、誰かの犠牲のうえでの「和」は、そもそも成立しません。表面だけ「和」して、実際の行動は違うというのは、「和」の正反対です。

ハーバード大学の神学研究課で最初に言われたのも「自分の考えを言わなかったり、遠慮して本心と違うことを言ったりしていると、自分が本当に考えていることがわからなくなる」ということでした。世界中の様々な宗教は、教義・経典に集約された知恵を社会に伝えるとともに社会の知恵に学び取り入れることで発展してきました。

修行したばかりの僧侶は経典には詳しいかもしれませんが、地域で長年農業をして生きてきたおばあさんのほうがよっぽど聡明です。地域との対話や経験の共有が足りなかったために、一方通行の仏教になってしまったことは仏教会の大きな反省点です。

――世界仏教徒会議で、新しい対話のやり方を取り入れられたそうですね。

戸松 世界仏教徒会議は、黄色い袈裟を来た東南アジアの仏教者から、チベット仏教、東アジア、日本、アメリカ、欧州など、世界中の仏教者が集まる国際会議です。従来は高僧の話を黙って聞くかたちでしたが、2008年に日本がホスト国として開催した際に、基調講演にヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん(幸せの経済学)を招き、文化人のほか、自殺や終末医療に取組んでいる方たちとパネルディスカッションを行いました。そして、仏教者が社会問題にどう取組むのかについて話合いました。

この経験を通じて、現場の事実に立脚し、人々の話を聞くこと、すなわち対話が重要であるという認識を強くしました。それは、東日本大震災の被災地支援や復興においても共通しています。

小林 儒教でも「和して同ぜず」といいます。公共哲学プロジェクトでは、この精神を重視しています。哲学でも儒教でも、違いを認め合って議論することで、知恵を高めてきた点は同じなのかもしれませんね。

哲学の始祖・ソクラテスは、問答することで相手が自分の思想を生みだすことを目指し、それを「産婆術」と言いました。だから、哲学も自分自身の考えに到達することが大事という点では、仏教の自己との対話と同じです。

  • 集合知をつくる対話の心・技・体(1)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(2)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(3)はこちら

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