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集合知をつくる対話の心・技・体(5)

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小林 正弥 千葉大学大学院人文社会科学研究科教授
戸松 義晴 全日本仏教会、浄土宗総合研究所
枝廣 淳子 環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所

7月2日掲載の「集合知をつくる対話の心・技・体(4)」の続きです。

公共哲学の基礎にある精神性

環境人間0709

左から、小林正弥(千葉大学大学院人文社会科学研究科教授)、枝廣淳子(環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所)、戸松義晴(全日本仏教会、浄土宗総合研究所)。これからのエネルギー政策を考えるうえで、技術の専門家だけではなく、幅広く国民が参加しての議論が必要とされている。

――日本はコミュニティと行政体のあいだに存在する中間共同体の組織力が低いと言われます。歴史的には地域コミュニティのなかではいろいろな話合いが行われていました。しかし、中間共同体的な役割を担ってきた伝統宗教が存在感を失い、地域コミュニティも衰退・崩壊してくるなかで、新たな公共の担い手が求められています。

戸松 欧米で教会が積極的に公共善の担い手としての役割を担っているのと比べると、仏教は消極的でした。しかし、歴史を遡れば、地域間の争いごとの調停をしたり、寺子屋で地域の教育を行うなどの役割を担ってきました。いまではそれらを自治体や行政が担っています。

また、仏教には宗派や教義といった側面よりも文化の担い手としての役割が実質的に重みをもっていることもあります。布教ではなくて、地域の文化財としての価値を社会と共有することで、公共的な役割を担うことができるのではないかと考えています。

――NPO活動など公共的なことに関心のある人でも、宗教的な基盤をもつグループとは関わりたくないという人が少なくありません。

小林 政教分離が重要なのは言うまでもないことですが、一方で政治や文化には宗教的な次元もあります。フランスの政治思想家のトクヴィルが、著書『アメリカのデモクラシー』で指摘している通り、宗教的な精神による政治結社がアメリカ民主主義の発展に寄与してきたという経緯があり、そもそもアメリカは国家の成立と宗教的精神が結びついています。そして、公共哲学では政治を考えるうえで、「精神性」の次元も必要と考え、復興していこうという機運もあります。

日本でもようやく公共的な活動が尊重されるようになってきましたが、宗教的な次元が否定されるのは、公共性に対する誤解だと思います。もっと精神性や文化を反映した政治をつくっていくべきだと思います。

戸松 かつて社会が不安定な時代には、新興宗教は救援活動をしながら布教をし、やがて政治と結びついてきました。また、最近も宗教者による被災地支援活動では、「心のケアと称して布教をされては困る」という苦情もありました。そこで、今は行動ガイドラインを設けてはっきり線引きをするように気をつけています。

小林 日本では公の場で宗教的な発言をすることはタブー視されますが、公共善と精神性は関わりが深いため、非営利組織による「公共」を成長させていくためには、精神性の次元もオープンに議論できるようにしていく必要があると考えています。その際に気をつけなければならないのは悪質なカルトの問題です。教育を通して、健全な宗教と反社会的なカルトを見分ける良識を培わなければならないでしょう。

創造的な対話のための5つのポイント

枝廣 いろいろな公共の問題について1人ひとりが考えて発言していくことが国の力になっていくということで、今日のお話のポイントを5つあげておきたいと思います。

まず、仏教における自己との対話のお話がありました。2つめに違いを尊重するというお話、3つめに対話を通じて意見が変わることは間違いではないということ。4つめが現場に出るということ。外に出ていって対話をして、人々の思想を創造すること、それが哲学者の本来の仕事ということでした。そして最後の5つめに政策をつくる際に、文化的、精神的、倫理的、宗教的側面を取り入れる。これまでは技術や経済が優先されていましたが、それだけでは不十分ということでした。

小林 これまでのエネルギーに関する議論において優先されてきた経済性というのは貨幣経済に限った狭い範囲の合理性を満たすものであって、宗教、文化、芸術は、より広い別の意味での合理性をもっています。もし、今回の原発事故をきっかけに、日本の政治に深い文化や精神性の要素が影響を与えることになればそれは日本社会にとって大きな学びとなります。私たちはこれを文化の基層まで遡って、戦後日本社会が抱えてきた歪みを修復するターニングポイントにしなければならないと考えます。

広島・長崎の原爆を経験し、2度と繰り返さないことを目指してきた日本であるにもかかわらず、原発事故を起こし、その問題が未解決のまま、原発を世界に輸出しようとしています。まず、私たちはこの現状をしっかりと見据えていかなければなりません。公共哲学は、議論によって人々を啓発し、話合う技術や場を提供することに努めます。その際に宗教がもつ精神性も大切にして、協働を呼び掛けていきたいと考えます。

戸松 仏教会として宣言文を出したことで、社会との交流・対話の機会が増えました。違う分野の方々と、意見を交換しながら、仏教者としての考え方・生き方を社会のみなさんにお示していきたいと思います。

最初に苦集滅道の話をしました。苦を受け止めるというと、何か辛く厳しい世界だと感じるかもしれませんが、私たちの喜びも悲しみも相対的なものです。零度の水の中に手を入れていて、手を出したら外気が10度でも暖かく感じるのと同じで、私たちが感じる喜怒哀楽も相対的なものです。苦を受け止めていくことで本当の安心や幸せが生まれます。このすべての起点となるところから逃げていては本当の幸せや希望は見えてきません。

これだけ豊かな日本で13年連続して3万人を超える自殺者がいるという現実、これが本当に私たちが求める生き方なのか、そういうことを問い直して、本当の幸せを実現する政治経済をつくっていくために、公共善のために実践を積み重ねていく必要があります。

人間は人と人とのかかわりのなかで生きています。一時的には可能かもしれませんが、最後は誰かに遺体の世話をしてもらわなければなりません。誰もが自分自身に正直に生きると同時に、そういうなかで異なる立場の人々の意見を認め合って生きていける世界を目指し、仏教会として取組んでいきたいと思います。

  • 集合知をつくる対話の心・技・体(1)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(2)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(3)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(4)はこちら

※記事全体は『人間会議』2012年夏号(6月5日発売)「みんなで考えるエネルギーの未来」特集でお読みいただけます。ご購入はこちらから。

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