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コラム

プレゼンテーションの奥義

巻(一) プレゼンは“決定のための儀式”である。

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プレゼンとは、ビジネス上の決定を行うための儀式である。

時々、プレゼンの後で「今日は良い議論ができた」とか「ウケましたね」などとコメントする出席者もいるが、全体がいかに良い雰囲気で進行されようとも、そこで何の決定も行われないとすれば、そのプレゼンには意味がない。

もしクライアントが、「この場で土下座すれば、君たちの企画を採用してあげよう」と言われたら、それに従った方が最短で決定がされるのだから、良いとすら言える。しかし、土下座なんかしなくても、自分の企画力、説明力で、相手を説得してみせるという人もいるだろう。確かにプロのプライドというものは大切だ。ただ、そういう自信家に限って肝心なことを忘れていたりする。

それは何かと言えば、その「決定のための儀式」における、真の決定者は誰かということである。そこに社長や役員が勢揃いされていても、実は決定にいちばん影響を与えているのは切れ者の部長の方かもしれない。あるいは、プレゼンを聞いた人全員による多数決によるのかもしれない。また、社長の人間に対する目利き力や独自の勘によって決まることも多いだろう。

誰が、どういうモノサシで評価するのか、受け手の企業カルチャーはどのようなものか。オリエンテーションの瞬間から、クライアントの事業の志を、商品力を、営業力を、人材力を、コミュニケーション力を、どれぐらい幅広く調べ、どれくらい深く理解したか。

効果的プレゼンができる人の頭の中には、プレゼンの前に、そのイメージができている。どのメッセージが受け手の誰にささって、どのような結論に至るかのイメージだ。それがあれば、プレゼンの結果は、やる前から分かっている。

それがプロというものだ。

「巻(二) プレゼンは“密室の演劇”である。」はこちら

白土 謙二「プレゼンテーションの奥義」バックナンバー