1995年、当時私が住んでいた(平日は京都、週末は奈良に住んでいました)実家がある奈良県に、「まほろば」といういかにもな名前のローカルプロバイダーが設立されます。ベッコアメ・インターネットやダイヤルQ2課金のinterQも急拡大をしていました。95年当時の一般家庭のインターネット普及率は約3%と非常に低く、2001年に約50%と急速に増加していきます。

※資料:グラフ「インターネット利用人口の推移 人口普及率(%)」出典:総務省通信利用動向調査
それまでは、富士通の提供するパソコン通信「ニフティサーブ」やNECの「PC-VAN」でフォーラム(特定の話題の掲示板)を中心にしたテキストベースの情報交換しかなく、Netscape Navigator1.0でのブラウジングは非常に衝撃でした。RS-232C端子へ接続したモデムを介したダイヤルアップ通信で、28.8kbps(にーぱっぱと呼んでいました)と非力な転送速度ではありましたが、レイアウトされたテキストと画像を表示できることは、新しい時代を予見させるものでした。
ただし、常時接続ではなく、アクセスポイントまでの電話代がかかるため、一気にダウンロードして、キャッシュを後で読むということをおこなっていました(夜11時以降はテレホーダイに加入することで、常時接続が可能でした)。