仕事の故郷は岩手県
私はアサツーディ・ケイに勤務して32年、岩手、東北の支社長を経て04年に東京本社に異動しました。田舎の広告会社勤務時代とは違い、ある意味「半沢直樹」状態の本社人間関係や都会での暮らしに馴染みづらく、退職への道を選択する原因になりました。
現職中は、営業というよりイベント企画が多く、特に岩手県の大型イベントのプロデューサーを務めてきました。「三陸海の博覧会」、宮澤賢治生誕100年事業、第23回全国菓子大博覧会、そして山形県米沢市で行われた「上杉鷹山生誕250年事業」の総合プロデューサーなど、数多くのイベントを手掛けてきました。
ある意味、岩手が私の故郷であり、県庁などにも多くの友人がおり「田舎へ帰ろう」と決心。07年の退職後、すぐに県庁外郭団体のコーディネーターとして転職、その後県の中核コーディネーターとして現在に至っています。三陸沿岸には陸前高田市から種市に至るまで多くの知人、友人がおり極めて居心地の良い環境への転職となりました。その友人達数名が、まさか津波の犠牲になるとは当然想定外のことです。
その後、岩手県から依頼され、三陸鉄道の立て直し、企画、話題発信、沿岸地域の観光力強化など、欲張りなミッションを与えられ、三陸鉄道の本社にデスクを置くことになりました。自己紹介が長くなってすみません。それでは本題に移ります。